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Cute Movies

21g

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

何故魂の重さが「21グラム」と言われてるのか?
アメリカの医者が臨終間際の患者の死ぬ前と死んだ直後の体重を統計的に取ろうとした病院で危篤患者を体重計に乗せ、臨終間際の体重を計ると、どんな人間でも「21グラム」死んだ直後に減るのだ。
人種も性別も年齢も関係なく。「21グラム」とは医者が最後には罪を犯して取った統計学の結果出てきた数字です。

この映画はその「21グラム」のキャッチボールの物語と言えるだろう。
21グラム・・・・我が家の小鳥のヒナの体重と同じ。両手に乗せても重さを感じないほど。その21グラムの魂がふとしたことで奪われた者、そして21グラムを失う寸前に手に入れたもの。21グラムを奪ってしまった者。
その3人が絡み合った映画である。

夫と娘2人と仲良く暮らしていたクリスティーナ(ナオミ・ワッツ)。突然の交通事故で2人の娘も夫も同時に失ってしまう。
心臓移植しないと余命1ヶ月と宣告される数学者のポール(ショーン・ペン)
ポールは死亡したクリスティーナの夫の心臓を移植されることで延命を遂げる。
ジャック(ベニチオ・デル・トロ)は前科者だが今は2人の子供と妻と敬虔なクリスチャンとして生きている。
ジャッ
クはクリスティーナの夫と娘たちをひき逃げし、その罪の重に耐えかねず苦しみもがき続ける。ポールは自分の心臓が1人の女性の不幸の上に授かったことに、
複雑な思いが募る。そして彼はクリスティーナに近づき、彼女の支えになろうとするうちに2人の間に愛が芽生えてくる。と同時に、クリスティーナには殺され
た夫と娘の復讐の思いがめらめらと燃え上がってくるのである。

物語の展開は非情に複雑で、3人の個々の生活をワンシーンずつ映しだし、そこに時間も前後させて過去・現在・未来が映しだされるので、最初は何が何だかよく分からない。ちょっと見逃すと物語が分からなくなる可能性もある。

しかし、個々の点、そして時間の点が徐々繋がってくるに従って、クライマックスへの予感がどんどんと膨れ上がっていった。

まるで、クロスワードパズルで、分からなかった文字が段々と見えてくるようなドキドキワクワクヒヤヒヤ感がある。
その緊張感がたまらない映画であった。
「最初に見たあのシーンと、今のこのシーンが繋がっていたのか!」ってのが多々あった。
監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥのきめ細かく練り上げられた個々の人間と時間の点の構想に、驚かされた。

ナオミ・ワッツの演技に思わず涙を流してしまうシーンがあったが、病院で娘の死と夫の状態を知らされた時嗚咽して「息ができない!」と叫ぶ。
息が出来ない・・・・・ほんとに私まで息が止まりそうなほどの演技であり、同じ子供を持つ母として、身体が震える思いだった。
もうワンシーン、娘の部屋に入ろうとしてドアをそっと開ける。しかし、10ほど開けて中を見た時、今も娘がそこに居るような気配さえ感じる部屋に彼女は足を踏み入れることが出来なかった。
彼女がまた麻薬に依存してしまうのは当たり前だと誰もが思うのではないだろうか?
まだ正気でいるだけでも、すごいことかもしれない。

真面目に生きていこうと努力するのに、いつも足をすくわれるジャック・・・・・「今度こそ!」と真面目に働いているのに、過去の過ちのために解雇されたり。宝くじで当たった車でひき逃げしてしまったり・・・・
乾燥した町中で脂ぎった汗くささに漂わせたその中に、運のなさが伺われる。
学識者でインテリのポールとは正反対のイメージが、余計に運の悪い男を著しく現している。

この「21グラム」・・・・一体どこへ行くのだろうか?
21グラムの命のキャッチボールは、ラストシーンに「ほお!」っと思う結末でしめくくる。しっかりと見逃さずにワンシーンづつ見て欲しい作品です。

text by...  七福神

2004/05/21