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命日=誕生日

 速水葬祭グループ 家族葬専用式場 さくらホールのニュース



昭和天皇の誕生日はみどりの日で

明治天皇の誕生日は文化の日。

大正天皇の誕生日だけ平日なのは何故なんでしょう?




日本の歴史で

誕生日に意識が向き始めたのは

明治以降、西洋文化が入って来てからで

それ以前の天皇をはじめ著名人の殆どが

誕生日についての文献が残っていないそうです。




そもそも、戸籍制度そのものが

飛鳥時代の頃の律令制や江戸時代の宗門人別帳など

不安定で荒削りな制度だったからなんでしょうが




今生きている年配の方々にお聞きしても

実際の誕生日と役所に提出した誕生日が違う人も

結構な割合で居られますね。




日本全体の話しで言うと

誕生日を祝う習慣が無かったんです。




理由は簡単。




昔の人はみんな

お正月に一つ歳をくっていたんです。




数え歳ですね。




だから現代の誕生日の感覚は無かったんでしょう。




だけど、亡くなった日はかなり昔から明確にされているし

弔いの儀式も古くから行なわれて来ています。




そこで、

亡くなった日を「命日」と言います。




「命日」です。

命の日です。




「命日」で使われている「いのち」とは

どういう意味で使われているのでしょう?




そこには2つの解釈が有ると思います。

1つ目は少し前のブログに書きましたが

「生前」説です。




娑婆世界では「亡くなり」ましたが

あちらの世界で「生まれた」から

亡くなった時に「生前はお世話になりました」

と言う挨拶をするとお話ししましたよね。




そうなんです、

煩悩と業にまみれた現世は仮の住処で

亡くなる事により本当の世界で生まれるから

あちらの世界での誕生日になり

亡くなった日を「命日」と言うんです。




2つ目は

生きている事と死ぬ事は「イコール」なのだと言う事です。

死=生きて居た証しで

生きる=死ぬ事なのです。




昔は生活の中に日常的に「死」があったので

「死」と言う存在自体に凄く近い所で人々は暮らしていました。



戦であったり疫病であったり、

お年寄りの他にも赤ん坊や子どもなど

弱者が身の回りの暮らしの中で亡くなっていたんです。




ですから「死ぬ事」は「生きる事」の裏付けであり

生きる事は死への覚悟との共生だったのでしょう。




だから「死ぬ」こと自体が死んでしまうだけでなく

その人の「命」の具体的なワンシーンだったのです。

しかも揺るがない変えられない一日なのですね。




「息を引き取る」記事でも書きましたが

命を受け継ぐ日、

その人の死を通じて自らも死を覚悟して

命を見つめ直すから「命日」なんです。




故人を偲ぶのも良いですが

故人の想いにまで心を寄せてみて下さい。



その故人様は

偲ばれる事を喜ぶのか

残った人々が時間を大切に使い

幸せに暮らす事を望むのか




そう考えると判りやすいと思います。




「命日」は

故人が生きた証しを通じて

残された私たちが死ぬまでに

与えられた時間を

与えられたご縁を

如何に大切にするかを覚悟する日だと思うのです。




俗な言い方ですが

それこそが故人に対しての最高の供養になると思います。



よく「誕生日は生んでくれた母に感謝する日」と言いますが

自分の親や祖父母じゃなくても

その命日は「今、生かされている事に感謝する日」なんですね。




今、コレを書いている私も

コレを読んでいるあなたも

確実に残りの時間を使いながら生きています。

どうか、有限の命(時間)です。

大切になさって下さい。


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