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1章同和・人権問題に関する主な取組みの経過

1.国における取組み

国の同和問題解決に向けた本格的な取組みは、1960(昭和35)年の同和対策審議会の設置に始まるといえる。その後、1965(昭和40)年には同審議会から「同和問題の早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である。」とする答申(以下「国同対審答申」)が行われ、1969(昭和44)年、国同対審答申を踏まえて、同和地区住民の社会的、経済的地位の向上を不当に阻む諸要因を解消するため、同対法が制定された(10年の限時法)。

同対法が、1979(昭和54)年から3年間法期限を延長されたあと、1982(昭和57)年には、なお残された課題を解決するため、地域改善対策特別措置法が制定された(5年の限時法)。

1987(昭和62)年の同法の失効に伴い、過去18年間の取組みの成果と反省の上に立って見直した結果、未だ残事業があることに鑑み、真に必要な事業に限って財政上の特別措置を講ずるため、最終の限時法(5年間)として地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律(以下「地対財特法」)が制定された。

しかし、地対財特法の最終年度となる1992(平成4)年度の段階で、物的事業量が相当程度見込まれること、あるいは就労対策、産業振興、教育、啓発等の非物的事業においても、今後とも、なお努力を続けていく必要があるとして、同法の5年間の延長が行われた。

なお、1993(平成5)年には、同和地区概況調査、生活実態調査及び国民意識調査が実施され、これらの調査に基づき、1996(平成8)年に地域改善対策協議会から、地対協意見具申が行われた。

地対協意見具申では、同和問題解決への今後の主な課題について、「同和問題の解決に向けた今後の主要な課題は、依然として存在している差別意識の解消、人権侵害による被害の救済等の対応、教育、就労、産業等の面でなお存在している較差の是正等であると考えられる」とし、その対応のあり方については、「既に述べたように、現行の特別対策の期限をもって一般対策へ移行するという基本姿勢に立つことは、同和問題の早期解決を目指す取組みの放棄を意味するものではない。今後の施策ニーズには必要な各般の一般対策によって的確に対応していくということであり、国及び地方公共団体は一致協力して、残された課題の解決に向けて積極的に取り組んでいく必要がある。」としている。

政府においては、このような地対協意見具申を尊重し、一般対策への移行を円滑にするため、地域改善対策特定事業を15事業に縮減して、5年間に限り経過的に法的措置を講じることとした。

さらに、地対協意見具申は、「同和問題は過去の問題ではない。この問題の解決に向けた今後の取り組みを人権にかかわるあらゆる問題の解決につなげていくという、広がりをもった現実の課題である。」として、今後は、同和問題の解決に向けた取組みを、あらゆる人権問題の解決に向けた取組みと連携させていくことの必要性を指摘している。

そのあと、このような地対協意見具申の「同和問題に関する基本認識」を源として、さまざまな人権問題の解決に向けた法律や答申が、相次いで打ち出された。

1997(平成9)年、「国は、人権尊重の理念に関する教育及び啓発、並びに人権を侵害された場合の被害者救済のための施策を推進する責務を有する」とする人権擁護施策推進法が施行され、その基本的事項を調査審議するために人権擁護推進審議会が設置された。また、「わが国において、人権という普遍的文化を構築することを目的に、あらゆる場を通じて訓練・研修、広報、情報提供努力を積極的に行う」ことを目標とする、「人権教育のための国連10年」国内行動計画が策定された。1999(平成11)年、人権擁護推進審議会から「人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本的事項について」の答申が行われた。2000(平成12)年、「国及び地方公共団体は、人権教育及び人権啓発を実施する責務を有する」とし、わが国における人権教育・啓発に関する初めての法律となる、人権教育及び人権啓発の推進に関する法律が施行された。また、2001(平成13)年には、人権擁護推進審議会から「人権救済制度の在り方について」の答申が行われるなど、同和問題解決をめざした取組みは、さまざまな人権問題解決に向けた取組みへと大きな波動を起こしている。

このような動向のなか、まもなく地対財特法の法期限である2002(平成14)年3月末を迎えようとしているが、このあと、新たに地域改善対策特定事業に関する特別措置法が施行される予定はない。

このことは、1969(昭和44)年施行された同対法以来、数度の内容と名称の変更を伴いながらも、1つの手法として、33年間続いてきた財政上の特別措置による同和対策事業が終了することを意味するものであり、今後は、必要な各般の一般対策によって的確に対応し、その早期解決を図ることとなる。

2.伊丹市における取組み

伊丹市では、国において同対法が施行される以前から、対象地域の地区改善事業に取り組んできた。1951(昭和26)年《以下、「年度」と表示する方が適切な場合もあるが、前項までの表示と整合させるため、「年」表示とする》に既設倉庫を改装し、眼科診療所が開設された。そのあと、1957(昭和32)年から1959(昭和34)年にかけて、一部地元負担による協力を得、道路改良工事と道路側溝新設工事が行われ、1960(昭和35)年には総合隣保館が、翌年には眼科診療所が建設された。この頃までは、「同和対策事業」ではなく、「地区(地方)改善事業」という名称が使われていた。

1963(昭和38)年には、対象地域の生活環境の抜本的改善を図るため、「伊丹市同和事業10ヶ年計画」が策定され、同年には、共同浴場が建設されるとともに、翌年以降、道路や下排水路の新設工事等が、年を追って実施されるようになった。

しかし、1965(昭和40)年に国同対審答申が行われたことから、先の10ヶ年計画の後半5ヶ年分を大幅に修正した「伊丹市同和地区環境整備5ヶ年計画」(1968《昭和43》年から)が策定された。また、1969(昭和44)年に同対法が施行され、国においても本格的な同和対策事業が始まるようになったため、同5ヶ年計画を骨子とし、環境整備に重点を置いた「伊丹市同和対策事業計画」が策定された。

1971(昭和46)年には、同和地区実態調査が実施され、翌年には、その結果等を基礎として生活環境の改善に重点を置いた「伊丹市同和対策事業計画」が策定された。

それらの事業計画等に基づき、中曽根団地(1969《昭和44》年)や緑団地(1971《昭和46》年)の建設、都市計画公園の設置(1973《昭和48》年)、ひかり保育園、共同会館、解放児童館の建設(1973年から翌年まで)、東西線・南北線道路等の新設改良、下水道の整備(1974《昭和49》年)等が行われた。

この間、1972(昭和47)年には、伊丹市における同和行政の中核的な役割を担う組織として、市長部局に同和対策室が、教育委員会事務局に同和教育室が設置され、翌年には、同和対策室が同和対策部に組織変更された。さらに、1974(昭和49)年には、同和対策事業の総合的な計画の策定や調整を行うため、同和対策部が同和部に組織変更された。

また、1973(昭和48)年には、伊丹市同和対策審議会(以下「伊丹市同対審」)が設置されるとともに、伊丹市から諮問のあった「伊丹市における今後の同和対策の具体的方策について」に関して、緊急を要する同和施策についての中間答申が行われた。また、同年、学校教育、社会教育、教育行政の3部門に分け、施策の大綱を示した「伊丹市同和教育基本方針ならびに基本計画」が策定された。

1975(昭和50)年に、伊丹市同対審から、先ほどの中間答申に続いて本答申が行われた。この答申に基づき、同年をスタートとする「伊丹市同和対策事業4ヶ年計画」が策定され、総合的・集中的な同和対策事業が行われるようになり、堀池団地(60戸)等の建設、墓地の整備、1号線等道路の新設改良、部落解放労働事業団の設立、「差別を許さない都市宣言」の制定(以上、1975年)等や、母子健康センターの建設(1978《昭和53》年)、2号線等道路の新設改良、上下水道管の敷設、都市ガスの導入(複数年に及ぶ)等が行われた。

伊丹市同対審からは、1975年の本答申のあと1990(平成2)年までに、今後の同和行政の推進に関する」意見(1978《昭和53》年)、「同和問題に関する市民啓発について」の意見(1981《昭和56》年)、「伊丹市における今後の同和行政のあり方について」、及び「伊丹市における今後の個人給付的事業のあり方について」の答申(いずれも1983《昭和58》年)が行われた。

これらの答申に基づき、1979(昭和54)年からの「伊丹市同和対策事業実施3ヶ年計画」の策定、堀池団地〔20戸〕(1981《昭和56》年)の建設、解放児童館広場の拡張(1980《昭和55》年)、下水道管の敷設整備、3号線等道路の新設改良(複数年に及ぶ)等が行われた。また、1987(昭和62)年には教育委員会事務局に人権教育室が設置された。

1990(平成2)年には、伊丹市同対審から「伊丹市の同和行政のあり方について」の答申(以下「1990年伊丹市同対審答申」)が行われた。そのなかで、「今後とも、同和対策事業の実施にあたっては、市民の理解、協力、参加がより一層得られるように配慮しながら事業を推進し、その事業の円滑な実施が促進できるような協議会(仮称)を設けられたい。」とされたところから、1991(平成3)年に、本協議会が設置された。また、同答申においては、人権啓発の最高会議としての位置づけのもとに人権啓発専門委員会の設置が提起され、1992(平成4)年に同委員会が設置された。

さらに、ふれあい交流センターの建設(1993《平成5》年)、防火水槽の設置(1994《平成6》年)、19-1号線道路の新設改良(1995《平成7》年》等が行われた。

そして、本提言の「はじめに」で述べたように、本協議会は、1996(平成8)年に「伊丹市における今後の同和行政のあり方について」の意見を求められ、その審議の基礎資料を得るため、1998(平成10)年に「部落差別の実態等を把握するための調査」を実施した。

このあと、2000(平成12)年には、同和問題を基盤に捉えた人権問題解決に向けた取組みを推進するため、同和部を自治人権部同和・人権室とし、同室に同和施策担当、共同会館、人権・平和担当、男女共生社会推進担当を置く組織変更が行なわれた。また、伊丹市において、「人権教育のための国連10年」を踏まえた人権教育を推進するため伊丹市人権教育推進本部が設置され、2001(平成13)年に人権教育のための国連10年伊丹市行動計画(以下「伊丹市行動計画」)が策定された。

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