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3章同和問題解決のための基本認識及び基本目標、並びにその基本的視点

1.基本認識

同和問題とは、同和地区に居住していることや、過去に居住していたことを理由に、さまざまな不利益や差別を受け、日本国憲法に定められた基本的人権が侵害されるという、わが国固有の人権問題である。言いかえれば、人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる根元的な問題である。

日本国憲法では、第11条において「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」、第13条において「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定められている。また、第14条においては「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と、すべての国民に基本的人権の享有を保障している。したがって、本来は、同和問題というもの自体があってはならないものであるが、その理念とは裏腹に現実には存在しており、その解決に向けた取組みは、日本国憲法の精神を具現化するものに他ならない。

国においては、地対協意見具申のなかで、同和問題を「残念ながら依然として我が国における重要な課題であると言わざるを得ない。」と、その存在を確認したうえで、「国及び地方公共団体は、基本的人権の尊重と同和問題の一日も早い解決をうたった同対審答申の精神とこれまでの成果を踏まえつつ、それぞれがその責務を自覚し、今後とも一致協力して、これらの課題の解決に向けて積極的に取り組んでいく必要がある。同対審答申は、『部落差別が現存するかぎりこの行政は積極的に推進されなければならない』と指摘しており、特別対策の終了、すなわち一般対策への移行が、同和問題の早期解決を目指す取組みの放棄を意味するものでないことは言うまでもない。一般対策移行後は、従来にも増して、行政が基本的人権の尊重という目標をしっかりと見据え、一部に立ち遅れのあることを視野に入れながら、地域の状況や事業の必要性の的確な把握に努め、真摯に施策を実施していく主体的な姿勢が求められる。」と、今後も引き続き、国同対審答申の基本精神を尊重し、これまでの取組みの成果を踏まえたうえで、一般対策を講じることにより同和問題の解決を図るものとしている。

このようななか、伊丹市においても基本的には一般対策に移行することになる。しかし、移行にあたっては、その趣旨に照らせば限定的でなければならないが、既存の一般対策の状況、なお残されている課題の状況等を踏まえたうえで、これまでの施策の成果が損なわれるなどの支障が生ずることのないよう配慮すべきである。一部においては、財政上の特別措置を定めた地対財特法が失効し、同和問題解決に向けた取組みが一般対策に移行することをもって、同和行政そのものまでをも終了させようとする意見もあるが、同和問題解決に向けた取組みを、特別対策で行うのか、一般対策で行うのかは、あくまでも手法の違いであることに留意する必要がある。

一方、対象地域とその住民を中心にした従来の同和対策事業については、長年の取組みによって、生活・環境等の改善・向上に一定の成果をみることができるが、その性格上、「部落差別を受ける者」という概念がなく、「部落」差別を受けている又は可能性がありながら、その枠外に置かれてきた人々がいる。また、「差別の重層性」に苦しんでいる人々もいる。今後の同和行政には、このような広がりと層位を持った概念を取り込み、総合的な同和・人権行政への発展をめざす必要がある。

伊丹市においては、以上のことを基本に、部落差別があるかぎり、地方公共団体としての責務を分担しその役割を果たすため、また、第4次総合計画の基本目標の1つである「ひとを大切にする自立と共生のまち」を実現するため、総合的な同和・人権行政の展開に努めるべきである。

2.基本目標

総合的な同和・人権行政の基本目標は、「差別のない社会」を創り出すことにある。「1990年伊丹市同対審答申」は、「差別のない社会とは、個人が個人として尊重され相互に差異を認めたうえで、他の個人と協同することによって共同の価値を実現しようとする社会といえる」と述べ、「市民一人ひとりが現状を固定的にとらえるのではなく、当然と思い込んでいる意識や態度を絶えず自ら見直し、部落差別を許さず、共に生きていく社会を実現するように人権尊重の輪を広げ、新しいコミュニティの形成を目指す施策を計画的・総合的に展開することが肝要である」と指摘している。また、伊丹市の第4次総合計画では、その基本目標の一つとして、「ひとを大切にする自立と共生のまち」の実現を謳っている。

それでは、このような社会の創出、新しいコミュニティの形成とはどのような社会なのであろうか。それは、多様な価値が混在し交錯しあい、多様な文化と経験を自己の実現として感じている人びとが関係し合う社会ということになろう。そこでは、個人の意思決定の自由と社会参加の権利が平等に保障される民主的な公共空間でもある。このような公共空間を、家族、地域、市域にまたがって創り出す方途が求められている。

「部落」という名で差別を受けている地域は、このような社会へと向かう条件が備わっている。消極的な意味では社会的差別の結果として、積極的な意味ではこれまでの同和行政の蓄積の結果として、である。

今後、市域全体を、「多様な価値が混交し合う地域」を基軸にした、「新たなコミュニティ形成」が可能となる地域単位として構想することも考えられてよいのではないか。同和行政の蓄積がある「部落」は、そのネットワークステイションとしての役割を果たすことができると言える。

3.基本的視点

本協議会においては、先に述べた「基本認識」を踏まえ、上記の「基本目標」に到達する方途を検討するための基本的視点を次の3点に集約、整理した。それらのそれぞれのねらいを(1)に、またその具体的な内容を(2)に示すものとする。

1)基本的視点1

(1)従来の同和対策事業に一定の成果があったことを評価しながらも、「部落」差別という差別意識がなぜなくならないのか、「部落」差別をなくすことが同和行政の目標だとすると、その点からみて、これまでの取組みの「積み重ねが積み重ねになっていない」という現状をどのように把握したらよいのか。

(2)国同対審答申は、心理的差別と実態的差別の「相互関係が差別を再生産する悪循環をくりかえすわけ」であり、「同和地区住民に就職と教育の機会均等を完全に保障し、同和地区の停滞的過剰人口を近代的な主要産業の生産過程に導入することにより、生活と地位の向上を図ることが、同和問題解決の中心課題である」と述べ、「同和行政は、基本的には国の責任において当然行うべき行政であって、過渡的な行政でもなければ、行政外の行政でもない。部落差別が現存するかぎりこの行政は積極的に推進しなければならない」と指摘している。この答申を受けて制定された同対法の「同和対策事業の目標」では、「対象地域における生活環境の改善、社会福祉の増進、産業の振興、職業の安定、教育の充実、人権擁護活動の強化等を図ることによって、対象地域の住民の社会的経済的地位の向上を不当に阻む諸要因を解消することにあるものとする」とし、「国の施策」として、8項目にわたる「対象地域における」生活の諸分野における総合的な施策を実施すると定めている。

伊丹市では、国同対審答申が出される前の1951(昭和26)年から、対象地域における改善事業に取り組み、生活・環境改善、各種公共施設の設置と当該施設を主体とした教育、啓発についての取組み、そして、社会啓発についての市民のネットワーク等による取組みが行われた結果、対象地域の生活・環境改善について一定の成果をみたことは前述した通りである。

しかし、同和対策事業という制度のもつ限定的な性格から、さまざまな問題も明らかになってきている。調査からは、環境改善事業が周辺地域と一体となった総合的な計画整備になっていないこと、「対象地域住民」のなかでの低所得層に階層固定が見られること、地価に格差があることなどを指摘することができるが、特に、従来の同和対策事業に「部落差別を受ける者」という概念がなかったために、対象地域に居住する「対象地域外住民」や他地域に転出した「対象地域住民」に関わる問題等が浮かび上がっている。

また、婚姻・職場等における多くの差別事例や、地価や保育所に関する構造化された差別についても報告したところであるが、これらは、「部落」差別という差別意識がなお存在している証左でもある。

地対協意見具申において、今後の同和行政の重要な課題は、「差別意識の解消である」とされているが、調査でも、社会啓発や同和教育、各種施設の取り組みについて、「その内容や方法に不十分さがあった」、「同和地区を地区に含む学校・園とそうでない学校・園で、同和教育の取組みに濃淡が見られる」、「楽しい事業への参加は多いが、そのことが『部落』差別問題や諸差別問題の認識へとつながっていない場合もみられる」という結果となっている。

このように、従来の同和対策事業において、「部落」差別という差別意識がなくならなかった、言いかえれば、これまでの取組みの「積み重ねが積み重ねになっていない」淵源は、国同対審答申や同対法における同和対策事業の位置づけと無関係ではない。同対法では、「同和対策事業の目標」が「対象地域の住民の社会的経済的地位を不当にはばむ諸要因の解消」にあるとし、その方法を、対象地域の生活、環境、教育等を改善することによって行うとしている。しかし、「不当にはばむ諸要因」とはそればかりではない。その大本は、「部落」差別という差別意識とそれを支えている構造化された差別にあるといえる。それらを変更してはじめて、「不当にはばむ諸要因の解消」が可能になるのではないか。

また、1990年伊丹市同対審答申は、「部落差別は地区住民を集合的にとらえてレッテルを貼るという市民の心性と深く関係しているため、その施策も表面的に顕在化した差別事象にとらわれた対症療法にならないように注意する必要がある」と指摘している。このように「対症療法」ではない、「部落」差別をなくすための施策のあり方をどのように考えるのか。

2)基本的視点2

(1)従来の同和行政の理念と取組みを生かし、他の人権行政の課題や取組みをも包摂しながら「総合的な同和・人権行政」の実現をめざすには、どのような取組みを進めればよいのか。

(2)地対協意見具申以降、国においては、「人権」という視点から、教育、啓発に取り組む方向性が明らかにされるようになった。1997(平成9)年には、「人権教育のための国連10年に関する国内行動計画」を策定し、そこにおいて、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題、アイヌの人々、外国人、HIV感染者、刑を終えて出所した人々を人権問題の重要課題として明示した。また、「以上のほか、人権に関するその他課題についても引き続き、偏見・差別を除去し、人権が尊重される施策を推進する」と述べている。そして、女性、子どもに関する人権養護、教育・啓発に関する法律の制定も行われた。そのようななか、伊丹市においても、2001(平成13)年に「伊丹市行動計画」が策定されたところである。

このような「差別をなくし人権を尊重する」ための施策の推進を人権問題解決のための重要な柱とするという動向は、同和行政に新たな地平を切り開くための方向性を与えるものである。それは、1990年伊丹市同対審答申が、「人権問題の総合化と充実」に向けて、「女性差別、心身障害者(児)差別、外国人差別等、広く人権問題についての施策も同和対策に準じて総合化をはかり充実する」と提起したことと一致するものである。

同答申では、「部落」差別の特徴と他の諸差別との関係を、「差別は、目に見え、耳に聞こえ、皮膚で感じられる五感的な事物の状態を被害として感得できる層から、歴史や時間の経過の中で、さまざまな社会的差別の層(近代産業と前近代産業、都市と農村、成人と子ども、男性と女性、障害者と健常者等)をたどって転移波及するものであり、その最後の段階として現れてくるのが部落差別」であると述べている。この指摘は、「部落」差別をなくすためには、他の諸差別との関係を明らかにし、それを社会構造のなかに位置づけて課題化することが必要であることを示している。

調査では、この課題を「差別の重層性(複合的差別)」という概念を導入して明らかにしようとし、対象地域に住む又はそこでの活動に関わった「女性」、「在日外国人(在日韓国・朝鮮人)」、「障害児・者」世帯についての聞き取りを行った。

調査結果からは、それぞれの人びとが、「部落」差別だけではなく他の差別との複合化した状況に置かれること、また差別を支える規範として、家族規範(血統、籍、姓に象徴される)、家父長的権威と内助の功の規範、戸籍制度(国籍を含む)、分離教育と統合教育という課題(同和教育の課題でもある)などが挙がっている。これらは、基本的には「被差別」像によって人々を分別するという社会意識の問題であり、差別を受ける者は、わが国の社会に内在する「世間」意識と「被差別」像との「あいだ」に複合的に置かれることによって差別が重なり合い相互に対立が生じている。

「人権問題の総合化と充実」という行政目標は、従来のような縦割り行政ではなく、諸差別間でどのような課題が共有できるのかを明らかにしていくことを抜きにその方向性を意味づけることは困難である。そのためには、個々の差別問題の課題をより深化させ、個々の差別が「差別を受ける者」からするとどのように関係し合い、またそれが社会構造のなかでどのように関係し合っているのか、それらの考察を通して、「人権」という概念がどのような内容を含んだものとして総合化できるのかを明らかにする必要がある。

したがって、同和行政の今後の方向性は、これまでの同和行政の理念や取り組みを受け継ぎながら、同和問題に内在する基本的な特徴に着目したとき、同和問題には他の差別問題を取り込む必然性があり、その過程を通して、「総合的な同和・人権行政」として再構築することが重要な課題となるのではないか。

3)基本的視点3

(1)「人権は各人の努力によって護られるもの」という考え方の普及によって人権が保障されるという理念に立ち、それを実現するためには、関連情報のデータベース化と情報公開、そして関係者や関係機関の情報のネットワーク化が必要であり、そのために、どのような社会環境整備がなされる必要があるのか。

(2)「1990年伊丹市同対審答申」は、「人権啓発の第一歩は、全ての市民が社会的差別について、自己の位置を自覚することからはじまる。さらに、その自覚の上にたって、個人が他の個人と異なることにおいて価値をもつことを明らかにし、協同を可能にする共通の認識・理解の枠組みを共に創り出すことを目標とする」と述べている。このことは、社会的不平等と社会的差別の結節点に「個人」があり、「個人が個人として社会的にいかに差別されている、または差別するかということの自覚」が重要であるとの指摘でもある。そのうえにたって、個人としての価値の実現を可能にする協同社会の創出を求める施策の必要性を提起している。

さらにこの指摘を具体的に言えば、まず「人権侵害」、「人権を護る」というとき、その基本的な単位は「個人」にあるということ、そして、「人権は各人の努力によって護られるもの」という理念の普及が啓発・教育の基本目標に捉えられること、そのためには、必要な関連情報を市民が入手することを可能とする情報公開制度とその整備が必要となる、ということになろう。

このような人権問題の関連情報の整備については、1995(平成7)年に出された伊丹市人権啓発専門委員会の「伊丹市における人権啓発の具体的方策について(提言)」のなかで、「今後、人権啓発を総合的・積極的に推進するために、関係機関の協力を得ながら、本市におけるこれまでの同和行政や人権教育、人権啓発の資料収集のネットワーク化とデータベース化を進め、資料の収集と整理、啓発資料の作成、啓発資料の閲覧と貸し出しなどの充実に向けて機関、機構などの見直しを検討すべきである」との指摘もあり、この提起を具体的な施策として実施する時期がきたと言えるのではないだろうか。

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