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総合的な同和・人権行政のあり方意見具申

総合的な同和・人権行政のあり方について

(意見具申)

2004年(平成16年)12月1日

伊丹市同和対策審議会

平成16年12月1日

伊丹市長松下勉様

伊丹市同和対策審議会

会長領家穣

総合的な同和・人権行政のあり方について(意見具申)

平成16年6月1日付伊自同同第19号をもって意見を求められました「伊丹市におけるこれまでの同和行政を総括し、今後の総合的な同和・人権行政のあり方」について4回にわたり慎重に審議した。特に、「部落差別の有無と差別意識の有り様」について議論が沸騰した。これらの審議を踏まえ、別紙のとおり意見具申する。貴職におかれましては、本審議会の意見具申を尊重し、今後の総合的な同和・人権行政の推進に一層努力されるよう要望する。

目次

はじめに

1 これまでの総括

1 部落差別の2つの側面と同和対策事業

2 社会的差別としての“部落”差別

(1) 社会的差別の種類

(2) 社会意識と個人意識の関係

(3) 「社会問題」と「差別」との関係-「社会問題」に対する「差別する側」と「対象とされる側」の関係-

3 “部落”差別の諸段階―社会的差別の枠組から見た―

(1) 一般市民の行う差別と被差別者の自覚への諸段階

1) 同じ仲間として第三者から見られないようにする。

2) 形式的な対話の機会さえも否定する。

3) 形式的には対話を認めているが、第3者と一緒になって、実質的なコミュニケ-ションができないようにする。

(2) 政策や行政を担当する専門家の行う差別

(3) 差別意識を利用する部落差別

1) 自己のもつ部落差別意識を自覚しないまま、自己の欲望に専念することによって惹き起こす部落差別

2) 篭抜け詐欺という“部落差別”

3) 篭抜け詐欺を“仕方ない”といって見逃す行為(タクシー運転手の踏み倒しに対する諦めの行為)

4) 差別意識を積極的に利用して、これをビジネスとして企画し、実行する部落差別(身元調査を主眼とする調査会社の場合)

4 部落差別の諸段階を通じて明らかになった他の社会的差別との関係

(1) 部落差別と結婚差別との関係と「居住の自由」の規則関係

(2) 地価を巡る諸問題に現われる差別

(3) 学歴と部落差別

(4) 義務教育の意味変化

(5) 統計と部落差別さらに社会的差別一般の関係

5 残された課題とこれに対する対策について

(1) 従来の同和対策の枠では見落さざるをえなかった問題の存在の確認

2 結び

はじめに

これまでの同和行政を総括し、今後の総合的な同和・人権行政のあり方について、という諮問を受けて、本審議会は次のような結論に到達した。この課題に答えるために、これまでの事業の実施がどのような結果をもたらしたかという視点である。しかし、検討は外的な結果のみではなくて、部落差別をなくするための行政の姿勢そのものも俎上(そじょう)にのせて見る必要があるのではあるまいかという視点である。国や県の補助をどのようにして受けるか、差別を受けている人々に対してどのように既定の法律条件の範囲内で、支援できるかという技術的な操作のみに終始していなかったかどうかという視点の導入が必要であるように思われる。このような視点から、社会の変化、部落差別そのものの姿を詳細に亘って検討するために、同和行政をややもすれば「同和」という狭い枠の中に閉じ込める傾向を有していたことは否定できないように思われ、その結果、観察と分析の枠組そのものをもう一度再構成を目ざして検討し、その視点で幾つかの問題を明らかにすることができた。

1 これまでの総括

1 部落差別の2つの側面と同和対策事業

“部落”、あるいはこれと同じ意味を持っているものとされている“ことば”もしくは表現によって行われている差別を、“部落差別”という。“部落差別”には、2つの側面がある。差別する側からは、「国民的課題」として国が制度として明確にした事業-その多くは、“部落差別”によってもたらされた“部落”の実態と必ずしも厳密に対応するものではなかった-の実施によって解決出来る問題と考えられた。同和対策事業の歴史は、同和対策事業の手法として打出された適用の条件や実施の具体的な解釈基準を含む実施条件の改定の歴史ということもできる。従って、担当官庁もはじめは、厚生省と文部省という2つの特定の省に限定されていたのが、全ての省庁が皆その任務に従って担当することになり、当初10年間の時限立法として出発した特別措置法が2度の延長を含んで法律改正をしながら33年に及ぶことになったのである。

これに対して、今ひとつの側面は、“部落”の名の下に直接被害を受ける側の“苦しみ”と“痛み”の側面である。同和対策事業の歴史は、はじめ差別を当然のことと考える考え方に馴らされた結果、“差別”によって受ける被害を我慢して受けていた苦しみや痛みを乗り越えて、立法、司法、行政の三権が意識的に無視することから始まって見落としてきて、潜在意識的に自明なこととして取り上げなかった現実というものまで幅広く直視するように要求し、一般施策に含まれているとする政策担当者の側の誤まりを修正・補完する運動の歴史であったということができる。本市においても行政担当者の側に、制度の常識的な追随に流れる傾向がなかったとは言えないが、差別の対象とされる側の主張に耳を傾けることによって、この現実との乖離を一定の範囲内に留め、より現実に即した施策を達成してきたということができる。このことは、「ハードの施策に関しては、一定の成果を挙げた。」ということばで表現しているものである。同和行政は、特別な行政を意味するものではなくて、一般行政に含まれているものとして見落されてきた施策に対する財政的な特別措置を意味してきた。“部落差別”は、決して不変の形態をもっているものではなくて、社会的状況の変化に即してその形態を変えてきている。

2 社会的差別としての“部落”差別

知覚に基づいて意識に現われる外的対象の像を表象と呼び、対象が目の前に直接現実にある場合に、知覚表象といい、記憶によって再生される場合には記憶表象、想像による場合には想像表象と呼んで区別される。多くの場合、表象は個人自身に根差すよりも、社会の中に生まれ込み、誰か先に存在している人々の影響のもとに習得していくものである。それは、特にことばおよびことばの使用の仕方と密接に結びついており、必ずしもことばが表す実体とは結びついていない場合が考えられる。ある社会について見ると、社会の成員は皆同じ表象を持っていると思われているがその内容は個人によって異なっているのが事実である。どんな差別でも、社会的差別には差別する人々と差別の対象とされる人々という区別が前提として考えられている。差別する側の人々は対象とされる人々に対して、「差別してよい」と考え、この判断は差別する人々が「属している」と思っている社会の中で「単に人数だけでなく、その社会を動かす力の点でも多数者によって承認されている」と思い込んでいる。対象に対する態度は対象の取扱いに関する知識の側面と、対象に対して行為者自身がどのような態度をとるかを規定する価値判断を含む側面をもっている。対象識別に関する社会的知識は対象の社会的分類に即して「社会的範疇」の体系として成立し、価値判断の側面は自己自身と対象の関係を基本とする価値づけに基づく、自他の優劣の決定とこれによる優れたものは尊重し、劣ったものは軽視するといった行為決定の体系として成立する。この二者の中前者は社会意識としての差別の種類の成立に関係し、後者は社会意識習得の個人的過程とこれによって個人の中に定着する個人意識という二つの側面がさらに区別される。社会意識は一方で社会的表象の分類体系として成立しており、日常的には概念に対応する用語(社会的範疇)体系として成立している。これに対して社会的範疇相互の関係(同類関係とこれに対する優劣の価値付与関係を含む)を規定する評価体系としてもまた成立する。

しかし後者に関しては行為者自身の個別判断と密接に関係しているので、個人意識の水準を通して具体化されるものである。

(1) 社会的差別の種類

社会的差別の関係は、社会的範疇の中の同類とされる一対の範疇選択とこのそれぞれに対して優劣を社会的多数者として規定する主体と対象とされる者との社会的承認関係によって定まっている。具体的には「部落民」と「非部落民」における非部落民が差別者として「部落民」(被差別地区住民、対象地区住民、特殊部落民などの用語でも称ばれている)を差別の対象として成り立つ関係を部落差別といい、性の違いを標識とする男性・女性の差別関係は女性差別として考えられている。また「障害」の有無を標識する「障害者差別」は心身に障害をもっている「障害者」を障害をもっていないと思っている「健常者」が生物としては同類であるが社会的な存在としては異なっており、健常者が障害者よりもすべての点で「優れている」という思い込みによって取り扱われている関係を示している。全体社会の構成員の生物学的徴標に基づく差別関係を人種差別、全体社会の文化的特徴を標識とする差別関係を民族差別、さらに近代国民国家という社会的団体の構成員の構成員としての資格による国籍に基づく差別関係を外国人差別としている。教育においても学校卒業という履歴を示す学歴に基づく差別関係が学歴差別として成立しており、この他に時代と地域を異にするさまざまな社会差別が存在している。基地問題は、社会問題としては一般化しているがまだ被差別の主張はされていないので、問題の段階である。(附表1参照)

(2) 社会意識と個人意識の関係

これに対して差別する側の差別対象に対する評価による差別の程度を決定する両者の距離の規定は、極めて近い関係から遠い関係まで考えられ、最も遠い関係としては単なる生物として同類と考えるのみで、人間としては認めないという関係までも考えられる。この場合には、生殺与奪の自由までも差別する側に与えられている場合が考えられる。差別の程度は、いじめといっても、軽蔑から暴力による傷つけたり、死に至らしめるような行為にまで及ぶこととなるのであり、これはさらに差別する側の自覚の程度による意識的差別から無意識な差別にまで及んでくる。また個人意識の水準が問題になる場合、知識としての表象の個人的習得過程の区別と関係し、「刷り込み」による習得から教育・啓発によるものまで区別され、外からの強制によるか、内からの自発的習得かという区別とも関係し、ある場合には抑圧されて個人の中に潜在意識の形で存在することも考えられる。

(3) 「社会問題」と「差別」との関係―「社会問題」に対する「差別する側」と「対象とされる側」の関係―

差別という社会的事実に対する自覚の関係からみた場合、単なる差別の存在に対する認識の水準に留まるか、これを社会問題として取りあげる立場に立つという違いの問題が考えられる。問題化は多くの場合、既に成立している「社会問題」の一環として取り上げられているに過ぎない。この場合には、様々な書物や雑誌などを研究材料として「社会問題」を知識として取扱っている専門の研究者やその研究の結果としての「社会問題」をマニュアル通りの取扱い技術について知っている専門家(一例をあげれば、教師とか自治体職員など)の手によるもので所詮は「他人事(ひとごと)」として当該専門家自身との関係は不問に附され、差別される対象の側の思いなどは問題とされることは稀である。問題が差別の対象の側から提起されることによって問題となるためには、被差別者の「差別されている」という自覚がこれまでの問題の取上げ方が見落としているものを見出すために欠くべからざる補完条件となる。従って、社会問題の中には被差別の実態に対する被差別者の自覚がまだ成立していない場合もある。多くの場合、差別される側の自覚による申立を伴ってはじめて差別なき社会創出に向けて、社会問題化が行われることになる。差別する側と対象とされる側の相互の自覚の協同関係(相互に見落としたものを相手の中に見出すという関係の自覚と新しい全体創出を前提としてはじめて成立する)が差別解決へ導くことになる。(附表1参照)

普通、社会問題といわれる場合の「問題」とは、差別する側からみて社会的に(現存する秩序に対して)危害を及ぼす可能性のあることを意味しており、危険性は差別される対象の側に原因があると考えられている。このような責任の押し付けはことばの使い方にはっきり現われている。一方的な決めつけではなくて両者の協同関係を作り出すことが必要である。

3  “部落”差別の諸段階―社会的差別の枠組から見た―

上に述べた、“部落”は一般(非部落)より劣っているのだから、“差別”は当然であるとする考え方を、“部落”差別意識と呼ぶとすれば、それが行為となって実現する段階が考えられる。差別を受け入れる考え方と、これを否定する考え方との間の葛藤が、苦しみであり痛みである、と言うことができる。この引き裂かれた自分を自己実現のために統一する変革が、反差別運動の原点とも言える。

(1) 一般市民の行う差別と被差別者の自覚への諸段階

第1の段階では、刷り込まれた考え方を当然のこととして顕(あき)らかにする段階であり、この段階では相手に対する被害についての斟酌(しんしゃく)や配慮は微塵もなく、反省もない。

第2の段階は、被害を及ぼされる側の申し立てに対して、差別意識を変革するという営みに向かうのではなく、表へ出さないようにして、相手からの攻撃を避けるという方法をとる段階である。そのため、次のような態度をとる。

1) 同じ仲間として第三者から見られないようにする。

1) その接触の機会をできるだけ少なくなるように努める。(注:期間を限って転勤するのを常態する転勤職業《企業・組織》の人にこのような態度をとる危険性が大きい。)相手を、価値的に劣っているものとして取り扱う態度に変更はない。
2) 同じ地域に住む仲間として認めない。
ア、そこに住むことを許さない。(排斥運動)
イ、その地域や、同じ職場で一緒にならないようにする。
子どもを同じ保育園に入れない。(空き保育所待機)同じ校区にならないようにする。

2) 形式的な対話の機会さえも否定する。

対話の相手として認めていないことを明らかにする態度をとる。
1) 不機嫌になる。ことば使いが明らかに違ってくる。
2) ことばに出して返事をしなくなる。
3) 反対の為の議論(論理展開)をしなくなる。対等な人権を持った相手として対応しない。

3) 形式的には対話を認めているが、第三者と一緒になって、実質的なコミュニケーションができないようにする。

1) 相手の言うことを「間違っている」といって反対する。
2) 発言させない。「禁止する」という形で、発言させない。相手の言ったことを他の人たち(第三者)が「信じないよう」にする発言をする。
3) 他の人たち(第三者)と一緒になって「揶揄(やゆ)」や「からかい」によって、話している本人を苦しめて、発言する気をなくさせるという方法で発言をやめさせる。

直接的な対話の相手として認めないのがこの段階の特徴である。しかし、この段階の差別は自己の信じていること(知識や行い)を正しいものと思い込んでおり、それの正しさとか思い込みに対する反省は認められない。

この基本的な姿勢としての差別意識は、巧妙に第三者を使ったり、一見関係のない行為として形を変えて表れてくる。

“部落”差別は、差別する側と差別される側の関係のあり方によって、具体的には異なってくる。

例えば、学校教育が国の指導に基づき、形式的な読み方・書き方といった文字教育に中心を置き、被教育者が自己の置かれている現実の状況を見直すといった態度に目覚めないよう注目の焦点を外していた間は、差別という視点は学校教育に馴染まなかった。学校教育から排除されているという自覚が成立してはじめて、学校教育への目が開けるのであるが、この自覚は学歴社会と、これに呼応する企業社会から締め出され、危機に瀕して始めて可能となる。これはまた、政策のあり方とも密接に関係してくる。

義務教育から排除されているという実感が、差別する側の差別意識に支えられていることに気付いたとき、権利としての教育は実感されたのであり、義務教育の保障を要求する運動となり、教科書無償から学用品保障へ、さらに高校進学が一般化する中で、奨学金制度充実運動(「学校成績」を基準として受給者を決定する「日本育英会」の他に被差別の実態と本人の潜在能力(ヤル気)を基準とする同和奨学金の創設)となって顕(あらわ)れ、親の労働環境―これ自身もまた産業や職業の近代化という名前で行われた、伝統的技法のふるい分けによる取り潰しという政策の結果であったのだが-と密接に関係しており、労働保障運動にも繋がってくる。個々人の個別の要求に対する対応の見直し-見落していたものの中には常識とされてきた習慣や知識も含まれており、実態とのギャップを埋めること-が必要とされた。これは、また“部落”とは関係ないとされてきた一般の人々の置かれている状況の問題にも、見直しを要求する役割を果たすこととなった。

“部落”差別の顕在化を抑制する構造の基底に、一般国民の差別意識の存在を指摘したのも、被差別の側の指摘と改変要求である。

差別の対象とされても差し支えないと思っている、地域や建物の価格の格差や売れ行き不振の背景には、価値的に劣ったものとして評価する態度や思いが存在している。提言に示されている話=不動産業者の話、対象地域内に売り出された新築住宅の売れ行き不振の話はその例である。)

(2) 政策や行政を担当する専門家の行う差別

専門家たちが行う“部落”差別は、“部落”や、これと同価と一般市民が思い込んできた、例えば、特殊部落、同和地区、同和関係者などという様々な社会的部類分けの対象に対して、同和対策事業開始時に「自明」とされていた「汚い」とか「賎しい」とか、「複雑で分り難い」といった具体的表象と一致しない状況が生まれてくると、「何故部落だけよくするのか」とか「何故同和対策事業をするのか」という感情・思いが、一般市民の中に生まれてくるのを直接問題にするのではなくて、それを表に顕さないように指導し、「抑圧され潜在化された記憶表象」として一般市民の中に残っているにもかかわらず、「差別意識はなくなった」と言って処理することである。潜在意識の中の表象そのものと、この差別意識が表象として自己の内部にどのようにして定着したかということは、反省によってしか自覚できないにもかかわらず、自分自身と直接向き合うという反省の努力が折角芽生えようとしているのに、その必要がないものと考える考え方に協力する役割を果たしてきた。これはまた、国がその思い込みにより、差別とこれによってもたらされた結果を取り除くことができるものとして構想された仮説的手法を、現実にどのような効果をもっているか否かを点検することもなく、教条的に適用するという誤まりを犯している。(差別徴税事件における更正決定規則を制定した人が、自分のもつ知識が現実とどの程度一致しない可能性があるのかという反省に欠けていたこと…路線基準価格決定のための調査方法に対する無批判な受け入れ、「隣接する2つの地点で2倍以上の価格差は存在しない」という地価に対する大前提が、現実に一致しているのかどうかを点検することがなかったため、「地価を路線基準価格の半値以下で確定申告したものに対しては路線基準価格で更正決定することが出来る」という規則制定者の視点の中にもまた、調査担当者における路線選定ならびに地点選択の中に“部落差別”という視点が全く脱落していたことに対する反省が抜け落ちていた。のみならず、指摘に対しても無視し続けて取り上げようとしなかった。)

これは明治以来、日本づくりが中央集権体制を創り上げることに集中して、その制度が具体的な状況に適用された際、そこに介在する人々が持っている“差別意識”などは問題としない歴史と密接に関係している。近代国民国家を標望する中央政治に関わった人々の思いが先行し、それぞれの地域やそこに暮らす人々の個別に自立しながら形成していた現場が自然に作り出してきた歴史の営みを、「天皇制」という統一の地頭に統合するという政策の観点からのみ評価して、合わないものを切り捨てることによって書かれた歴史を、正統なものとして、国民に強制してきたという事実に対する根底からの反省が抜けていたことが挙げられる。第2次大戦の敗戦についても本質的な分析と反省を行なうことなく、戦前から作られてきた歴史を、一方的に継承していることに原因があると考えられる。歴史を作り上げる主体として、そこに生きた普通の人々の営みという視点、すなわちモノとモノとの関係やモノと人との関係、人と人の関係のあり方と、それらの3つの関係の調和が如何に保たれたのか、またそれがどのようにして破綻し、どのようにして作り出されたのかという視点と枠組みを考えるという視角が、抜け落ちていたことにある。中央権力との関係のみを中心としてきた歴史は、歴史を閉ざされた世界に閉じ込めることになった。従って、既知の枠だけで歴史を解釈しようとする閉ざされた考え方は、見落としてきた枠組みをつき合わせることによって、常に新しい枠組みとその中で相互の位置を創り出していくという途を閉ざすことになった。開かれた世界への再生の営みに焦点を合わせるという再検討が必要であることは言うまでもない。

小さな社会が閉ざされた状態を突き破って、開かれた大きな社会へと生まれ変っていくという見方の軸が、どうしても必要なように思われる。

社会を構成する要素としても、絶えずそれぞれの社会を構成する部分と全体、部分と要素的単位、また単位と全体という観点が必要である。現在みる状態は、次々に繰り込みながら、保持されている重層的な結果であるという視点をもつことである。“現在”という視点だけからみるのではなくて、その時々、その時代時代の考え方―確定したモノと未定なモノ(これは次の時代の確定したモノに現われてくる)、既知と未知、の関係を可能な限り現実に即して取り上げていくことによって、真実は顕かにすることができる。これは“差別意識”がどのようにして形成されてきたかを明らかにするために、振り落としたものや見落された事実を拾い集めて、再検討することを意味し、新しい全体を創り出して行く方法の追求―お互いの相違を徹底的に明らかにし、相互に相手の話や営みの中に、自分の見落したものを見出すことによって、新しく相互位置付けと関係を結べるような全体を、関係者一人ひとりが創り出して行くという作業である。それぞれの時代、それぞれの場所にあると思われる全体と部分、部分と部分、部分と単位としての個々の生活者の視点を持つことによって、関係は創り出して行くことができるのであり、またそうすることが必要である。専門家は個々の生活者の視点や視線、さらに自己を位置付けている全体のあり様との関係を、相互に関係付けることを可能にする方法を誘導する編集者の役割に徹することが要求される。

(3) 差別意識を利用する部落差別

前述のものは何れも、差別意識の存在から、眼を逸(そ)らすことによって起こる差別であるが、次にあげるものは、一般市民の差別意識を利用する部落差別である。

1) 自己のもつ部落差別意識を自覚しないまま、自己の欲望に専念することによって惹き起こす部落差別

直接“部落差別”を目標としているのではないが、自己の利益(自己の目的から見て)の為に、結果的に人々がもっている抑圧された潜在意識としての“反部落感情”を刺激することによって目的を達する。

2) 籠抜け詐欺という“部落差別”

偽同和とされているが、同和地区住民を装って、一般の人々がもっている「近寄るな」「関係するな」「コワイぞ」といった感情を利用して、車代を踏み倒すと言う例。

3) 籠抜け詐欺を“仕方ない”といって見逃す行為(タクシー運転手の踏み倒しに対する諦めの行為)

この運転手の行為を差別として、解決努力を指示するという処理の仕方が放棄されて、運転手個人の失敗として、個人に転嫁する場合と、企業の損金として処理する場合とが考えられるが、、この場合、“部落”の人によって損害を被ったという事実(未確認のまま)を宣伝することによって、一般市民のもつ“部落差別意識”を正当化し、強化する役割を果たしている。この態度は、反差別を口にする人々の中にも、日本社会の常識として、様々な差別が存在しているが、体制の側から正しくない、或いは望ましくない、とされる思想や信条をもつものに対して、一般人が抱く差別意識を指摘して、新しい相互関係を築くことを断念する行為も同様である。

4) 差別意識を積極的に利用して、これをビジネスとして企画し、実行する部落差別(身元調査を主眼とする調査会社の場合)

こういった“部落差別”を自分とは無関係なこととして、黙って見過ごす自分の中にある“部落差別”を容認しようとする、自己の“部落差別意識”は、それがどのようにして形成され、定着するに至ったかという自己の隠された部分を直視し、それを開示する努力によってしか克服することはできない。自分の最も開示しがたい部分は、苦しみや痛みと密接に関係している。多くの運動-反差別の闘い-が、勇気を持ってそれに立ち上がった少数者に委任されている事実は、恰(あた)かもそれが存在しないかのように振舞う人たちの生き方を許すことになり、力を合わせて差別に立ち向う-苦しみや痛みをわかち合う-ことを拒否するという差別の存在を示すものである。これはまた、“部落差別”の一つの形態ということができる。自己の中にある差別を容認する“こころ”を放置することは、どのように反差別というスローガンをあげようと、差別なき社会を実現する仲間として、差別されてい
る人々を見ていないということになる。

4 部落差別の諸段階を通じて明らかになった他の社会的差別との関係

同和対策事業の実施を通じて、政策の企画・実施担当者の見落してきた事実が指摘され、修正されることによって、より現実的なものとなった。部落差別を受けることによって生じる痛みや苦しみは、同じような体験をもっている人にしか分かってもらえないのではないかという不安をもち、自ら壁を作って口を閉ざす傾向があったが、敢えてこの壁を破って、異議申立や修正要求をしてきた。このことによって他のさまざまな差別を受けている人々に対しても一般施策が見落としてきたものに対して異議申立をする勇気を与え、「同情」ではなく、共感を分かち合える関係を生み出してきた。

このような関係の存在を明らかにすることは、被差別者の側に身を置かない限り不可能である。差別される側に身を置くことによって、差別の存在は明らかにされるのであるから、他の差別が前面に出てくるとともに、“部落”差別は後景に退くことになる。“部落”差別は、一般化された形でその社会の構造のあり方そのものとして顕かにされ、記憶表象として定着する。部落差別を受けている人々は、すべての差別を受けている人々を受容(うけい)れることになる。

(1) 部落差別と結婚差別との関係と「居住の自由」の規則関係

結婚差別は、一見なくなったかに見えるが、隣接する一般地区と対象地区のそれぞれの地区内の夫婦の出身地分布を見れば明らかになる。一般地区では、対象地区出身者すなわち被差別者の来住を認めない。既婚者の中に被差別地区出身者を認めようとしないのに対して、同和地区はあらゆる組合わせの夫婦の来住を歓迎しているのである。

(2)地価を巡る諸問題に現われる差別

偽装された形で現われてくるものは、結婚差別だけではない。土地家屋の売買を通じてしか現われないのは、引き合いと契約成立の頻度の比率に現われる差である。この差は日常的な時間よりもかなり長い観察期間を設定して、観察を継続することによって初めて見出すことのできる結果である。一見、部落差別はなくなったかのように見えるが、これによって“部落差別意識”が多くの人の中にあることを観て取ることができるのである。

(3) 学歴と部落差別

学歴高度化の流れに隠れて、一見なくなったかのように見える学歴差別も同様である。特に教育における差別も明らかにすることができる。高校進学率の比較によっては見出せなくなった格差であるが、観察項目を変更して見ると、学歴は卒業したもののみが、その学校の卒業生となるのであり、また卒業することによって、それに相等する資格をもったものとして社会的に扱われるので、直接の差別行為による差別ではなくて、日常的な“部落差別”が累積されて初めて観ることの出来る結果である。それを明らかにするためには、更に長い単位の観察期間を設定することが必要である。各年代毎に計算した種類別学校修学完了者別の比率の変化を示す時間的経過の傾向は、時代を経ることによって高い学歴の占める比率が増加してゆくのに対して低学歴の占める比率は減少の傾向を示している。その結果、その時代の最高学歴とそれより一つだけ低い学歴の傾向線は、交叉する時点を迎えることになる。不就学者が減少して、義務教育修了者の比率が増加してゆく結果、この二つの傾向線が交叉して、入れ替る時点が生まれてくる。これはそれぞれの学歴間の問題として現われる。現在の日本の社会で高度成長期以後、短大を含む大学卒業者が高校卒業のみで社会に出る者を量的に超えるようになった。学歴高度化が、大学の方に一般社会では比重が移っているのに対して、部落の場合には、高校卒業の方にまだ重心が残っているように見られる。法律と規則によって争われるアメリカ型法治主義が浸透するにつれて、学歴と資格による階層化が進み、その底辺に位置付けられているのが“部落”である。学歴社会というコトバによって偽装されているのが“部落差別意識”である。

(4) 義務教育の意味変化

偽装されるのは決して野菜や肉や卵だけではない。進学の一般化につれて、“部落差別”印は一見無くなった様に見えるが、教育が本人の主体性放棄を認める、“受ける権利”と化した結果、初歩の知識習得の練磨は、本人の責任に任されることになり、訓練を自ら体得できるところまで習得する楽しみを得る機会は、放棄されることになった。管理を主とする教育は、主体としての学習者自身を無視する形で進められ、“部落差別”は手付かずのまま厳存することになる。

(5) 統計と部落差別さらに社会的差別一般の関係

部落差別の有無に思わぬ紙数を割くことになった。上記の結果を示す統計は、文科省の学校調査のデータ・ベース化とその継続的な観察点の累積によって始めて可能となる。現在の集計項目と集計方法では、教育の見落したものは見出すことはできない。一般の人々と“部落”の人々が、被差別の側に身を寄せてこの観察方法、どの項目とどの項目を選択して、どのような集計方法を取るかを決めるのは、痛みや苦しみをわかち合える人々自身の体験を通して可能であり、またこれを実施に移す時期に到達したように思われる。国の指定統計調査は、基本的人権と密接に関係しており、同じく一般市民に公開されるべき性質のものと考えられる。

従来の指定統計調査は、国の諸制度が如何にうまく誇れるかを表すために行われており、諸制度や施策が、現実・実態とどれだけ離れているかということに関して十分意識していないし、むしろ無視している。篩(ふるい)にかけて残ったものだけを意味付けした。むしろ捨て去られた項目或いは加えられていなかった観察項目をも加える、といった作業が必要となってくると思われる。

5 残された課題とこれに対する対策について

(1) 従来の同和対策の枠では見落さざるをえなかった問題の存在の確認

1) 「刷り込み」によって生じた「部落差別意識」に対する対策

(「部落(ブラク、ぶらく)」、「部落」という標記法は部落に対する表象の違いを表わすとともに自覚の仕方の相違にも関係している)差別意識は、教育・啓発といった直接的な方法によってのみ与えられたものではなく、その多くの部分は、現存する社会を「自明」に承認した部分の問題に関係している。基本的には「知る権利」「表現の自由」の問題に関係する。われわれは「世間」によって規制されている事実を無視することはできない。その結果、明確な反証のない、単なる違和感や疑問を自由に表明することは規制されており、真実を知る権利を制限されているきらいがある。「刷り込まれた」モノとしての表象の真実は、体験した本人自身によって、その刷り込まれた当時の状況を反省的に探索して想いおこす以外には、その源を尋ね当てることはできない。あらかじめマニュアル化して、誰に対してでも一律にこうすればいいなどときめることのできる内容ではない。どんな素朴な疑問や不安であっても、いつでも、どこでもまた誰に対してでも表明することができなければ、「知る権利」とか「表現の自由」が保障されているとは言えない。

2) 行政の所有する情報も含めて、あらゆる情報は基本的にはどんな人に対しても公開されていることが必要である。DATA-BASE化を積極的に進め、集められ積み重ねられた全体として公開されていることが必要である。公開は多くの場合、法的・制度として整備されると、公開されたと言われるが、実質的に情報に接見(Access)できるようにすることが必要である。その為には可視化できるものはできるだけ早く可視化し、どんな人でも、見ようと思えば見ることができるような環境を整備してこれを公開することが必要である。さまざまな関連する地図、地形図だけでなく、地質図、さらに社会的な施設や対策といった社会的構築物(道路や橋や、堤防といったものは人工的な構造物であって、その作られた時代の学問、技術を含めた人々のその構造物に対する「自明」の考え方を投影しているものである)の分布を地図上に投影した分布図、さらには人々の意図しない行為によって惹(ひ)き起されたできごとの分布図といったものが整備される必要がある。学校の校区の存廃・統合といった行政区劃の変遷図といったものには、社会的差別が一見しただけで明らかになるものもある。歴史に関しても、上からの観点だけではなくて、ひとりひとりの民衆の思いといったものと密接に関係している社会的な事実の存在も重要である。

歴史地図といわれるものも、これまでの歴史観によるだけではなくて、従って既存の本や既製の地図ではなくて、見落とされてきた事実の分布を、(交通手段を異にする道路地図といったものもここに含まれる)整備する必要がある。災害地図は地質図と照合すれば、その原因の一端は明らかとなる。教育にとって必要なのは、一緒に生きてきた民衆の生き方の成果についても知ることである。

自由な発言と最後まで聴くという態度は相互に密接な関係をもっている。「差別される」といった過酷な体験をもち、社会的に「自明(当り前)」とされる一般的な評価によって無能力と決めつけられる習慣に埋没しがちな人々が、素朴な質問や意見を発表するのはどれだけ勇気を必要とすることか、同じような経験をもたない人々にはわからない。偏差値と効率を重視する教育には見落とされた視点のように思われる。相互の発言を尊重するということの中には、このような思いのある人もあることを考慮して最後まで聴くとは、発言を励ます努力も含まれていると思わねばならない。

部落差別の諸段階に即していえば、(1)(2)に対しては、教育・啓発の根本に立還ることによって対応することができるが、(3)の問題に関しては市として、このような行為を規制するよう立法府に対し法律制定を促進する要望活動を進められるよう要望する。

同対協の提言を含んで、これまで実施された同和対策事業が見落としたものがないかどうかについて検討し「開かれた眼」で見直すことが望まれる。教育の成果という場合、学校教育における知育の、しかも教える側からのみの教育効果になりがちであるが、全人間的な生きる過程そのものの見地からの見直しの問題として常に新しい枠組を生み出す努力の中で考えながら進められなくてはならない。このことは行政全般についても同様であると言うことができる。

2結び

以上述べたことは、ほとんど「提言」の中に示されたものであるが、もう一度詳論したに過ぎない。提言が超えることのできない一線をもっていたとすれば、差別の重層性ということばで示したものであろう。あらゆる差別が一体化し、総合化した結果、「部落差別意識」は抑圧され潜在化されたものとなり、他の社会的差別が表層に浮かび上がってくることとなり、一見恰(あたか)もなくなったかのように見えるが、現実は潜在化したに過ぎないのである。すべての社会的差別を個々別々に取扱うのではなくて、密接に関連し合った「全体」としての差別を考える必要がある。

一部の委員の方々から出された審議会継続への要求ならびに特別対策としての同和対策事業廃止の要請は、以上に説明したように、"部落差別"の厳存するとの証明にかんがみて、適合的な部分については平成14年(2002年)の提言の線に沿って実施されることを望むものとする。

同和対策審議会は、伊丹市においては人権に関して、差別される側の視点に立って、現実の問題点を指摘し、問題解決への提言を行ってきた。“部落差別”の存在を基本としながら、差別を受ける苦しみと痛さを共感できる人々に開かれた、新しい問題解決への組織に発展的に解消すべき決断の時に到達したと判断して、可及的速やかにこうした市民に開かれた新組織を設置されるように提言する。

新しい組織に関しては、市民のあらゆる層から選ばれることが望まれるが、そのうち少なくとも半数は差別を受ける側に立つことを、自覚的に行いうる人―換言すれば、自己自身と対決して、自己の中に存在する、差別する側への執着心を、自覚的に断ち切ることのできる人―が含まれていることが必須の条件である。同質の人によって構成される組織は、問題を見出す芽を摘む危険性をはらむものであり、できる限り異質な要素が含まれていることが重要であると思われる。

なお、審議会は新組織が設立され、活動を開始するまでの間は、部落差別をはじめとするあらゆる差別解消に向けて、市の施策と現実との乖離を点検する責任を負うものとする。

(附表1)

「関係」の区分
日常用語表現
差別される側
(被差別対象のカテゴリー)
差別する側
(反対を意味するカテゴリー)
問題化する主体
「問題」の呼び名
被差別体験の主体
「差別」の呼び名
部落差別 ”部落民”(~住民) 部落外住民 部落(被差別自覚住民・
地域)部落問題
”部落民”
「部落差別」
同和関係者・世帯
対象地区住民・出身者
一般地区住民 国家、「同和問題専門家」
同和問題
-----------
女性差別 女性 男性 女性・女性問題専門家
女性問題
女性(解放者)
「女性差別」
障害者差別 障害者 健常者 障害研究者
障害者問題
障害者(解放者)
「障害者差別」
民族・人種差別 支那人・朝鮮人差別
(1868~1896)
支那人
朝鮮人
日本人 日本
台湾問題
 
朝鮮人・台湾人差別
(1897~1945)
朝鮮人(”鮮人”)
台湾島民
日本人 総督府
同化問題
(創氏・改名)
先住少数民族
被支配民族
在日韓国・朝鮮人差別 在日韓国・朝鮮人差別 日本人 日本人及在日問題研究者
在日韓国・朝鮮人問題
在日韓国・朝鮮人
〃差別
  沖縄他基地住民 日本人 「基地」問題
(在日米軍に売渡している)
基地住民・沖縄人

伊丹市同和対策審議会委員名簿(順不同)

役職名 選出区分  機関・団体における役職名等  氏名 
会長 学識経験を有する者 関西学院大学名誉教授  領家穣 
副会長 学識経験を有する者 兵庫医科大学講師 日野謙一 
委員 市議会議員   中村孝之
委員 市議会議員   大路康宏
委員 市議会議員   川上八郎
委員 関係団体の代表者 伊丹市自治会連合会会長 鈴木嘉蔵
委員 関係団体の代表者 伊丹市人権・同和教育研究協議会会長  大澤欣也
委員 関係団体の代表者 連合北阪神地域協議会伊丹地区連絡会事務局次長 網家弘之
委員 関係団体の代表者 伊丹市同和事業促進協議会常任理事 松永秀弘
委員 関係団体の代表者 部落解放同盟兵庫県連合会伊丹支部支部長 安田敏彦
委員 関係団体の代表者 部落解放同盟兵庫県連合会伊丹支部副支部長 杉本絹子
委員 関係団体の代表者 部落解放同盟兵庫県連合会伊丹支部書記長 池田千津美
委員 市民 公募委員 三井美穂子
委員 市民 公募委員 田中邦夫

審議の経過

  • 第1回平成16年6月1日委嘱、意見を求める文書の交付等
  • 第2回平成16年6月29日総合的な同和・人権行政について(審議)
  • 第3回平成16年7月22日総合的な同和・人権行政について(審議)
  • 第4回平成16年8月19日総合的な同和・人権行政について(審議)

(註)標記法について

わたしが整理して書き現わしたいと思った状況を区別するために、片仮名を使う場合と平仮名を使う場合、さらに漢字を使う場合という3つの区別があり、またある「ものごと」を示すのに使う場合と、その「ものごと」を示すのに使う場合と、その「ものごと」の「状態」とか「性質」を表わす場合に分けることができる。従って厳密にいうと、同じ発音としては文と考えられるものであっても次のような書き方が区別されることになる。

「部落」は「恐(こわ)い」
「部落」は「こわい」
「部落」は「コワイ」
「ブラク」は「恐い」
「ブラク」は「こわい」
「ブラク」は「コワイ」
「ぶらく」は「恐い」
「ぶらく」は「こわい」
「ぶらく」は「コワイ」

といった表現法(標記法)が考えられるわけであるが、これは、この表現法を使って、ある状態を表現したり、あるいはこの文の表わす状態を読みとろうとする人の「ことば」に対する態度の違いを想定するからである。 人と人の関係は何らかの媒体(メディア)を使って情報の授受あるいは送信と受信によって成立っているが、この媒体としては「ことば」と「行い」と「信念(本人の気付いていない)」といったものが考えられるが、その具体的な使用に当っては、明確にその意味を自覚している場合とあまりはっきりと気付かないで使用する場合が区別される。

本来、「刷り込み(imprinting)」という「ことば」は動物行動の用語として用いられはじめたものであって、 鵞鳥(がちょう)が卵から雛に孵(かえ)るとき、最初に出合ったモノが親として意味をもつことになることから、成長の最も早い時期に習得した習性が定着する事実を表わすのに用いられた。人間の学習の過程を示す用語として使用する場合、乳幼児期以前の学習の一形態として考え、一定の目的と意図をもって教育するのではなくて、 乳幼児をとり巻く人々が、 学習主体としての乳幼児がそこに居ることに気付かない、あるいはその存在を無視して「ことば」や「仕草」「立居・振舞い」を使用したり、して見せることによってその乳幼児に齎(もたら)す教育効果としての習性をいう。上の標記法の相違は、主語に相当する「ものごと」についてと、その「ものごと」の状態や性質を表わすことばに分けて考える必要がある。標記法の違いは、主語として措定(そてい)される「ものごと」についての、乳幼児の認知の度合いの違いが標記によって表わされ、補語として使用される状態や性質は乳幼児にとってどの位、身近で直接的であるか、あまり直接的には実感されていないものかという区別が、わたしの中で想定されている。

主語が具体的で直接知覚の対象とされるものについては漢字・平仮名・片仮名のどれも使用することができ、漢字標記の形をとるが、乳幼児にとっては、「いま、ここ」に現前している「ものごと」ではなくて、「何処かにあるもの」として措定されるに過ぎないものについては、 片仮名標記を使用した。 従って表音的にしか存在していないものとして観念されるものごとを指している。これに対して状態や性質を表わす「ことば」は乳幼児にとって直接五感に訴えて伝わるものほど、片仮名標記とし、平仮名や漢字は抽象度が高く、直接的に体験できないものを表わすのに用いられた。このことは、仮令(かりに)、その人が成人であっても、明確に自覚して、この関係を捉え直していない場合は、「ブラクはコワイ」といった表現でしか表わせない認識度ということが考えられる。他の一般のできごとに対しては明確に漢字標記が考えられるのに対して、部落に対しては該当しないのが同和教育・啓発の実態のように思われる。

ことばの問題に関して云えば、外国語を日本語に翻訳するときに、翻訳者の価値観や差別に対する感覚が先行していることが考えられる。例えば、「自爆テロ」と訳されている原語はsuicide-attackは厳密には「自死攻撃」であって何故「テロ」と呼ぶかは、多少政治的な色あいが強すぎるのではなかろうか。