伊丹の生んだ俳聖上島鬼貫の墓は大阪天王寺の鳳林寺にありますが,伊丹市内墨染寺にある子どもの永太郎の墓にも,分骨か遺髪が納められています。他の石造品とあわせて紹介します。
注意:墓参の方の妨げにならないようお願いします。
上島鬼貫(1661~1738年)は万治4年,伊丹の酒造家・油屋の三男として生まれ,16歳から西山宗因に俳諧を学びました。20歳から沈思黙考の末,貞享2年(1685年)に「誠の外に俳諧なし」との悟りを開きました。
代表句として「おもしろさ 急には見えぬ すゝき哉(すすきかな)」「によつほりと(にょっぽりと) 秋の空なる 富士の山」「骸骨の うへを粧て 花見哉(がいこつの うえをよそおて はなみかな)」「鳥は未 くちもほとけす 初桜(とりはまだ くちもほどけず はつざくら)」などがあります。一子永太郎を亡くしたときには,「土に埋て(うめて) 子の咲(さく)花も ある事か」と詠んでいます。
右側は飛騨高山のダンジリ屋台の彫刻で有名な谷口与鹿(よろく。1864年没)の墓です。晩年を伊丹で過ごしたことから,ここに墓があります。
写真=鬼貫と一子永太郎との親子墓。右側は飛騨の名工・谷口与鹿の墓
墓碑の左には鬼貫を慕う俳人梶曲阜(きょくふ)が建てた「秋ハ物の 月夜烏は いつも鳴(なく)」の句碑があります。この原本は柿衞文庫にあり,市指定文化財になっています。
写真=鬼貫句碑
右側には荒木村重の墓と伝えられてきた九層の石塔があります。一見九重塔のようにみえますが,残欠を寄せ集めた塔で,笠の軒下に垂木形を造りだしたものとないものとの2種類が積まれています。いちばん下の台石は,もと十三重塔の基礎であったもので,一面に「正和二年(1313年)」の紀年銘があります。これは在銘遺品としては市内最古のものです。基礎の高さは39センチ,幅上端81.2センチ,下端83.6センチで,一面に銘文の痕跡が認められますが,風化がいちじるしく,わずかに紀年銘などが判読できるだけです。その上の基礎と塔身は近世に後補されたもので,塔身の四方には四天王の種子(しゅじ)であるジリ(持国天)・ビ(増長天)・ビー(広目天)・バイ(多聞天)を配しています。
この塔はもと伊丹6丁目の鵯塚(ひよどりづか)の上に建っていたのを,江戸時代後期に当寺に移したもので,基礎や塔身はその際に造られたものと思われます。
写真=正和2年銘層塔
伊丹市中央6丁目3-3、墨染寺内
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