橋本香坡は天保9年(1838年)伊丹に開かれた郷校「明倫堂」の初代教頭です。墓は,市内船原2丁目の菩提寺墓地にあります。
江戸時代の終わり,伊丹郷町の町役人らは領主近衛家に郷校の設立を願い出ました。郷学とは寺子屋よりも内容が高度な,今でいう高等教育機関です。伊丹の中心に近い昆陽口村(今の宮ノ前1丁目,伊丹みやのまち3号館のところ)に開校した明倫堂は近衛家と町民が拠出した資金により運営されました。
初代教頭として招かれた橋本香坡は上野国(こうずけのくに。今の群馬県)沼田の出身で,大坂で篠崎小竹(しょうちく)の主宰する梅花社に学び,「篠門の四天王」のひとりに数えられた人です。
尊王攘夷論者であって長州藩に好意を寄せていました。そのため明倫堂教頭を辞職して大坂にいた慶応元年(1865)に逮捕,投獄され,まもなく獄死しました。しかし,明倫堂で香坡の教えを受けた人たちが,明治期の伊丹の近代教育を担うことになりました。
写真の4基の墓は右から順に次のとおりです。
注意:墓参の方の妨げにならないようご注意ください。
伊丹市船原2丁目4番3号、菩提寺(黒墓)
阪急伊丹駅より北西へ約400メートル
都市活力部産業振興室文化振興課 文化財係
〒664-8503伊丹市千僧1-1(市役所4階)
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