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1章同和問題解決への視点

同和対策事業は部落差別をなくするための事業であり、「部落差別」解消に有効な事業でなくてはならない。そのためには2つのことを考える必要がある。1つは、現実においてどんな形で部落差別が存在しているかということを明らかにすることであり、他の1つは、どのような状態になったら部落差別がなくなったといえるかということである。

部落差別はあらゆる社会現象に浸透しており、その差別意識は部落を自分たちの社会の中へ仲間として受け入れようとしない潜在意識が原因となっているように思われる。この差別につながる意識や態度は自己にとって不都合な事態に遭遇すると部落差別の形をとって顕在化すると考えられる。残念ながら、多くの差別事象はこのことを示しており、しかもそのことは現在の事態をあまりにも当たり前のことと考えている意識に支えられていることに原因があると考えられる。

そのため、市民一人ひとりが現状を固定的にとらえるのではなく、当然と思い込んでいる意識や態度を絶えず自ら見直し、部落差別の存在を許さず、共に生きていく社会を実現するように人権尊重の輪を広げ、新しいコミュニティの形成を目指す施策を計画的・総合的に展開することが肝要である。

(1)部落差別の定義と実態把握の方法

同和対策事業の究極の目標は、地区住民の自立を可能とする社会的な環境づくりである。個人の自立とは、個人が一個の人格として差別により歪められることなく独自の判断ができる能力を獲得することである。

社会的差別とは、これを受ける側からは、社会関係が社会的に絶たれている状況、隔離された状況を意味している。部落差別とは「部落」という名で行われる隔離といえる。

この隔離は、社会生活を営む上で必要な要求との関係でみれば

(ア)経済的要求

(イ)社会的要求

(ウ)個人の実現・充実への要求

の閉そくされた状況となって現れてくる。この場合、

(ア)は、生活に必要な所得を確保することを、

(イ)は、家族を持ち、地域における様々な社会集団の一員として生きていくことを、

(ウ)は、心身の健康を確保することを、

意味している。それぞれの要求の閉そく状況とは、

(ア)については、就業の前提条件を含んで産業の面からも、職業の面からも就労の機会が制約を受けており、その原因の重要な一因として教育を受ける機会において制約を受けていること

(イ)については、家族が共に安定した生活がおくれるために、家政といった経済的側面、家族関係、その物的条件としての住宅環境といった条件における制約があげられ、また地域生活の安定については、施設や道路その他の物的環境の整備の問題から社会参加や社会的協同の網の目の中に組み込まれているかどうかという状況に関して現れてくること

(ウ)については、身体的には各個人の健康、精神的には自由の保障と関係し、保健・医療の問題から、文化・娯楽の機会の制約があげられること

である。

差別は、差別をする側の意識の枠で考えるとあらゆる事象の層に関係し、しかも、これらの領域や層が相互に作用しあって全体をなしているものである。差別は眼に見え、耳に聞こえ、皮膚で感じられる五感的な事物の状態を被害として感得できる層から、歴史や時間の経過の中で、様々な社会的差別の層(近代産業と前近代産業、都市と農村、成人と子ども、男性と女性、障害者と健常者等)をたどって転移波及するものであり、その最後の段階として顕れてくるのが部落差別である。

部落差別行為の形態は

(ア)直接暴力等の行為によって「部落」の人を排除するとか、あるいはこれらの人々が利益を得ることを妨害するといった場合。

(イ)侮辱を加え、居たたまれなくするとか、故意にその存在を無視して上述と同様に孤立させ、排斥の効果をあげるといった場合。

(ウ)他の人々を巻き込んで「部落」の人々を社会的に孤立させ、社会の一員として保障された、あるいは保障されるべき権利を保てなくしようとする場合。

(エ)孤立化させようという場合だけではなくて、むしろ孤立化とか排斥されることを自明のこととして考え、この前提の上に立って現実の行動が行われるという場合等があり、一見全く関係のない行為のように見え、場合によっては意識されていないかも知れないが、この行為がじゃっ起する結果として必然的に「部落」の人々に及ぶという場合である。

(ア)および(イ)のように直接的に危害を加える差別から差別落書きのように(ウ)および(エ)にみられるわい曲化された差別へと陰湿化してきている。

したがって、部落差別の検討は、経済・社会生活という基礎的な構造から情報構造まで、すべてにわたって総合的に考えることが必要であり、地区の調査は生活や環境を中心とした実態調査にとどまらず、部落差別の実態を見落とさぬようにしなければならない。また、部落差別は地区住民を集合的にとらえてレッテルを貼るという市民の心性と深く関係しているため、その施策も表面的に顕在化した差別現象にとらわれた対症療法にならないよう注意する必要がある。

しかし、現実の各地方自治体の同和対策事業の実施に関する方法は国の方針に沿っておおむね、対象地区に限定して行われた。

伊丹市においても、同和対策事業として、地区ならびに地区住民を対象にした事業に関しては、ある程度の成果を得たといえるが、複合的で構造的な差別形態に対する対応が十分であるとはいえない。差別は人々の差別意識に応じて、次々に転移波及して最後に「部落差別」となって顕れるものであり、総合的に判断して、部落差別の存在をとらえ、関連する部門の協同の体制を確立し、部落差別発現の余地を残さない対策を講じることが望まれる。差別との関係という視点の欠如した施策は事業の進捗状況が問題とされたり、ねたみ差別の形で顕れたりする結果となっている。

(2)部落差別の解決にとっての有効性の視点

「部落差別」の解決にとっては、まずどのような状態になったら、差別のない社会になったといえるのかを明らかにすることが必要である。つぎにその事業を実施することによって、どれだけ差別がなくなったか、換言すれば差別のない状態がどれだけ実現できたかという効果を明らかにする視点である。

それには

(ア)国が示した同和対策事業の原則において同和対策事業の対象となるのは「同和対策事業対象地域」一般であって、現実に「そこに」「いま」存在している地区そのものではない。抽象的に指定された「対象地域」ではなくて「いま」「ここに」見られる固有の地域について、「部落差別」がどのような側面、どのような層について見られるかを検討し、市民が地区住民の立場に立ち、自分たちが当然と思い込んでいる意識や態度について問い直すことが必要である。

(イ)地区の実態調査は統計的にどれだけ差があるかということを示すためにのみ行うのではなくて、格差と差異を生み出した差別実態と行政効果との関係を明らかにし、その施策の適用を受ける地区住民一人ひとりについて、その生活の構造とその全体性を配慮して、実質的改善がいかにはかられるかを明確にすることである。

(ウ)差別のない社会を創り出すことを妨げている理由の一つに個人の平等観をめぐる解釈の違いがある。差異のない状態が平等であるとする解釈と、個人はそれぞれ全く異なっており、異なるからこそお互いに対等な立場で協同が可能になるのだという意味で平等であるという解釈である。前の方の考え方では、個人の努力に重点がおかれ、不利を背負っている側に差異をなくする努力を求める傾向があるが、後の方の考え方では、差異は、共生の中で特性として考えられ、異なることによって調和が可能になる。

したがって、差別のない社会とは、個人が個人として尊重され相互に差異を認めたうえで、他の個人と協同することによって共同の価値を実現しようとする社会といえる。

差別のない社会を実現するために、どれだけ理想的な共生のための価値の創出に貢献するかを視点としてあげることが必要である。

(3)人権啓発に関する視点

人権啓発の第一歩は、全ての市民が社会的差別について、自己の位置を自覚することからはじまる。さらに、その自覚の上にたって、個人が他の個人と異なることにおいて価値をもつことを明らかにし、協同を可能にする共通の認識・理解の枠組みを共に創り出すことを目標とする。そのためには、学習者の主体性を尊重することである。市民が互いに協同して共通の価値を創り出す、その作業が人権啓発となる。それには、相互に抱く価値を超えた新しい価値を創り出すことである。そこでは、市民が協同の相手となり共生の仲間であることを自覚し、計画の共同者となり、共生の仲間となる。

以上を念頭において、今日までの人権保障としての同和対策事業を点検・確認することが必要である。

伊丹市では、同和対策事業の推進によって、地区における住宅・道路などの生活環境や地区内施設の整備をはじめ、生活状況の改善・教育の向上などについても一定の成果がみられ、また人権尊重の国際的潮流の中で人権意識の高揚への気運も次第に高まりつつある。しかし、依然として差別事象が跡をたたない現状は、差別意識の解消が十分に進んでいないことを示している。

以上のような点を検討した結果、同和問題解決にとって最も緊急な視点は次のような点に絞ることができる。

(ア)同和対策事業の実施に当たって、関係部局の情報が必ずしも十分に統合されていないため、形式的に執行されたり、関係部局は担当する領域だけに限定して対応したりすることになりがちで部落差別の存在を見逃し、差別の実態的解消も差別意識の解消も、まだ十分に達せられているとはいえない。

したがって、現象対応のセクショナリズム的になりがちな行政組織の運営を問題解決型の方向に転換する必要がある。

(イ)部落差別は歴史的過程の中で定着してきたものであるから、「いま」「ここに」現れている事態だけではなくて、過去にかえり、未来を探ることによって、その差別性は明らかになる。部落差別の存在を認識し、その解消に向けて実践する意欲を高めるよう職員の研修および市民啓発が行われるべきである。

(ウ)同和対策事業の成果は、その事業の実施によって、地区内の人々にどの程度利益をもたらしたかという観点から取り上げられがちである。むしろ、事業の実施が部落差別発現を抑止し、部落差別解消にどのように効果をもっていたかについても、評価する必要がある。

(エ)市民啓発事業には、地区内外の交流事業は不可欠である。地区の高齢者は部落差別の歴史的過程の証人であり、差別のない社会への熱望者であり、啓発の担い手である。また、部落はコミュニティを温存し、育てている地域である。したがって、地域への参加活動と部落解放の熱意は高齢者の生きがい活動を活性化すると確信する。

以上の視点にたってさらに、地区内外の一体化の実をあげうるような施策を中心に「差別」の実質的な撤廃に向かって推進し、地区内外の交流活動をはじめ、教育の充実・生活基盤の確立などソフト面からの充実に重点を置いて、課題の克服に一層努力を望むところである。

 

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