英語部門あやみです( ´ ▽ ` )ノ
松葉色事件を受けて自分の育児を振り返り、これからの時代を生きる子供たちを育てるには、やっぱり今のような、守るばかりの育児ではいけないと改めて痛感しています。
これまでの習慣って、これでいいのかと疑問に思ったとしても、変えるのにはとても勇気がいりますよね。
それに、変えるといっても、どう変えていいのかわからない。
変えて悪くなった場合のことしか思い浮かばないのではないでしょうか。
以前の私がそうでした。
【我が子をちゃんとした大人にするためには、母である私がちゃんと教えてあげなくては】
そう信じ、
手取り足取り、我が子が興味を持つ前に「子供の成長に良い」と言われるものを与え、
自分のやらせたい習い事を、子供自身の口から「やりたい」と言うように仕向け、
辞めたいと言った時には「自分でやるって言ったんでしょ」と無理強いし、
絵本を読んでほしいと持ってきたら、途中でどこかに行くことを許さず、
お友達といざこざがあったら、まずは我が子が悪いことをしたのではと疑う、、、
悪母の代表だったんじゃないかな。
我が子より周りの目が気になるタイプ。
今思えば、自分に自信がなかったし、自分で考えることもしなかったから、そういう育児しかできなかったのだろうと思います。
私が変われたのは、
★『男子に必要なのは協調性ではなく冒険だ』という主人に、息子の育児を取り上げられた
★その頃お世話になっていた成田の先生から、
『子供は放置した方が賢く育つ』(ネグレクトとは別)と教えていただいた
★実際に放置した娘がどんどん賢くなっていった
という三つの要因によります。
これは、二世代、三世代家族であれば、お祖父ちゃんお祖母ちゃんが教えてくれたこと。
『子供は失敗してなんぼやよ〜〜』
と、どっしりゆったり構えてみてくれる人がいると、我が子可愛さのあまり頭に血が上っていても、『そんなもんか』と大らかに成長を見守れるものです
人間が動物である限り、文明が進んでネット社会に突入しても、本質の部分は変わらないはず。
誰かに道を譲ってもらったら『ありがとう』と言う、
迷惑をかけてしまったら素直に謝る、
助けてもらう時は『お願いします』と言う、、、
『育児中ですけど何か?』とばかりに、歩道いっぱいに並んでバギーを押すだの、バギーで大変そうだからとドアを開けて支えてみても、それが当然かのように素通りするだの、お店の売り物を子供が好き放題触っていても注意しないだの、、、
そんな親(又は祖父母)に育てられた子供が、自立した人生を送れるのでしょうか。
全てが自分中心に回っていて我慢ができない
やっていいことと悪いことの区別もつかない
努力もせずに、できない時は周りのせいにする
勉強やスポーツを人並み以上にできるようになることよりも、社会の一員としての節度と、言われたことをまずやってみるという素直さを持つことの方がよっぽど大切なはずです
やってもらって当たり前なんてことは、この世の中一つもない
先日、国語と算数部門に通う小5生が英語の体験に来た時のこと、、、
大きな声で「こんにちは
」と入室し、一緒に活動する先生とメンバーを紹介すると、
これまたハッキリした声で「よろしくお願いします
」と姿勢を正して挨拶していました
算数でも国語でも、【挨拶は人間の基本だ】と指導しているからなのか、サッカー部の指導の賜物なのか、誰に言われずとも、そういう挨拶ができる彼の行動は、とても自然で心地よく、爽やかな気分になりました
お行儀、礼儀をしつけることで、人として自立するための姿勢を先に育ててあげませんか?
人間性の豊かな子は、勉強は本人の気が向いた時に、
後からでも、やればできるようになります。
『性、相近し。習い、相遠し』は孔子の言葉。
持って生まれたものに大きな差はないが、習慣や環境がその差を広げるのだ、という意味だそうです。
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※ 写真は新しくなった宮ノ前ほたる保育園での英語活動の様子。手を出しすぎない保育の結果、この園には顔の引き締まった子が多いです