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おくりびとから見た震災、そして今。

さくらホール 速水葬祭グループ家族葬専用式場





TVでも新聞でも

この時期になると震災の記事が増え

ブログやmixiの日記にも記事が増える。




今更かもしれないけど

今日になって「書こう」と思った。

色々な記事を一通り読んでみて

書かれてなかった視点から体験していたからです。





今もなお心に深い傷をお持ちの方は

どうか避けて通って下さい。







当時





既に結婚はしていたが長男はまだお腹の中に居て

夫婦共に今の葬儀の職には既に就いていた。




前日は世界中がそうだったように

全くの平生を暮らしていた。

お通夜を二件掛け持ちで

テンヤワンヤになっていた会社から

帰宅し、普通に夜を過ごして就寝。






そして被災。





家の中はぐちゃぐちゃになったけど

さいわい怪我も無く

揺れが収まるのを待って

布団の中で一服をしていた。。。




布団の中で余震に冷やっとしていたら

会社に寝ていた父が凄い勢いでやって来た、

「大丈夫か~!」

「そうか、大丈夫やったらええねん!」

と、数秒でどこかに行ってしまった。

安否が気になる人が他にも沢山いたのだ。




取りあえず家の事は放っておいて出勤をする。

もちろん会社もぐちゃぐちゃ。

家も会社も片付けや復旧どころでは無い。





そう、

その日は葬儀が二件入っていたのだ。



手分けをして式場の確認に行く。

僕が向かった一件は

供花も倒れ祭壇も崩れ

エレベーターも電気も水道も全滅。

さいわい大事には至っていなかった



父が向かった先は

伊丹市共同利用施設での施行現場。

壁一面の大ガラスは割れ

祭壇も崩れ柩がエラい所まで出て来ていたそうだ。




荒れた式場はすぐに修復できた。

葬儀を延期するか中止するか、

お客さんとも話したんだが

2件とも決行する事になった。

予約していた火葬場も

営業ができる状態だったのはさいわいだ。




どちらの式場も

何とか駆けつけて下さったお坊さんは凄い。

霊柩車やマイクロバスなども

大幅に遅れずに辿り着いてくれた。




しかし、

来るはずの親族が来ない。

もちろん会葬者も誰も来ない。

頼んでいたお料理も来ない。




それどころではなかった世の中。




そして、葬儀屋さんとしては

本当に大変だったのはそれからです。




というのも、

全ての依頼を電話で受けて

全ての手配を電話でしていた。

その電話が使い物にならない。




それでも葬儀の依頼は入って来る。

やむを得ないので直接火葬場まで行って予約をしようと思っても

数日先まで予約が取れない。




そのうち柩屋さんの在庫が切れる。

全国から届けられる柩の援助待ちになる。




お花の手配もままならず

精進上げのお膳なんて言っている場合じゃない。




葬儀をあげる事もできず、

お経を頂く事もままならず、

とにかく火葬してお骨にする。



その火葬も1週間後や10日後になってしまう。

かなりの方が京都や岡山の火葬場まで焼きに行っていた。



ある時、

尼崎の知人から「神戸で身内が亡くなっているんだが

全く手つかずで安置所に置かれているから

尼崎まで連れて帰って来て欲しい」と依頼された




機能が麻痺している国道を避けて

瓦礫を避けながら裏道を普段の何倍もの時間をかけて

神戸の安置所まで迎えに行った。

さいわいその方は柩に納まっていた。

しかし、その柩も持ち上げようとしたら

底が抜けてしまう次第。

現場がどれだけバタバタしていた事か。




連れて帰って来てもやはり何日も後での火葬になった。




同業者の話しによると

腐敗が始まっていた仏さんは

近所の人が野焼きにしていた所もあったらしい。




いつ寝たのかも判らず

その出来事が今朝の事だったのか

昨日の出来事だったのかも定かでなく

被災していても避難している場合じゃなく

不眠不休とまでは言わないが

経験した事の無いめまぐるしい時期でした。




時々

「あん時はよう儲かったやろ^^)」

と仰ってくれる方がいるけど

不謹慎かどうかは別として

見当違いも甚だしい。




商談どころでは無い。

お金の事なんか復興が落ち着いてからで良いから

とにかく助け続ける日々だったのです。




同じ伊丹市内でも171号線の北と南で

ライフラインの復旧に日差があり

北側の知り合いの所に水を届けたりもした。




借家住まいなので16年経った今でも家も壊れたまんまだ

不便な思いも大変な思いもした。

人間ってたくましい生き物なんだと関心もした。





しかし、

そんな事を言えるのも

物や家が壊れただけで済んだからだ。

大切な人を亡くした人達の事を思うと

未だにあの地震を思い出話にする気にはなれない。




そう言う意味では

日々の生業として人を送る仕事をしているせいか

風化する速度が街の人達とは違うのかもしれない。




地震以降、時々ご遺族の方と

「いやあ、うちの婆ちゃんは普通に病気で

こうやって病院で看取られながら逝けるだなんて

交通事故や地震で亡くなった人達の事を思うと

ホント幸せだよ」

なんて言葉を交わす事も何度もありました。




大切な人を亡くして初めて気が付くんでしょうね。

「そうだ、人間って必ず死ぬんだ」と。



そんな事を気にせず暮らせている事が

幸せなんだろうけど

その人と共に暮らせる時間は確実に減っている

という事は心のどこかに置いておいて欲しいです。
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基本情報

名称さくらホール 速水葬祭グループ家族葬専用式場
フリガナサクラホール ハヤミソウサイグループカゾクソウセンヨウシキジョウ
住所664-0024 伊丹市松ヶ丘1-197-2
アクセス伊丹市バス中野大橋バス停より徒歩1分
昆陽池公園北側、中野大橋より西へ100m
電話番号0120-791-042
メールアドレスsakura@hayamisousai.co.jp
営業時間
日曜日
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開業日1985年3月
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