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男と女の「おかしな!?」ハナシ

持つべきものはやっぱり娘??

あなたの身の回りにも時々起こる

「これってどうなの?」「おかしくない?」という話。

このコーナーでは、毎回、「男と女のちょっとおかしな!?ハナシ」を、つぶやいてもらいます。

持つべきものはやっぱり娘??

今日のつぶやき主は62才のユリさん。

久々に帰省して、実家のご近所さんと話しています。

春代:あらユリちゃん、久しぶり!

 帰ってたんじゃね。

ユリ:あ、おばちゃんたち久しぶり。

 昨日帰ってきたの。いつも両親がお世話になってます。

菊枝:お父さん「ユリが帰って来ると優しくしてくれる」って、いつも嬉しそうに言うとってよ。

ユリ:あらまぁお父さんったら(笑)

春代:お母さんだって「ユリが庭木の手入れや布団の入れかえやら、年寄りが普段できない事をしてくれ本当に助かる」「カビだらけのお風呂やトイレもピカピカにしてくれるし」って。

菊枝:やっぱり女の子はいいよねぇ。

春代:いいよねぇ。

 ウチの息子たちなんか、盆・正月に帰省するだけで全然役に立たんからねぇ(笑)

菊枝:ウチは知っての通り息子とふたり暮らしじゃろ。

 老体にムチ打って80過ぎた母が50過ぎの息子に、いまだに毎日お弁当持たせて会社に送り出しているなんてどう思う?(笑)

◆菊枝のつぶやき

「できるだけ子どもには迷惑をかけないように」と頑張ってきたけど、私もいつ介護が必要になるかわからない。

だけどまさか息子に「お母さんの下着や紙パンツを買ってきて」なんて頼めやしないし・・・。

 

◆春代のつぶやき

結婚してしまうと男の子は嫁さんに取られたようなもんじゃね(笑)

お嫁さんに「風呂掃除やトイレの掃除をして~」なんて、私は申し訳なくてよう言えんしね。娘と一緒にご飯を作ったり、買い物に行ったりできたら楽しいじゃろうなぁ、って昔から思っていて(笑)

ユリちゃんのお母さんがちょっぴりうらやましいわ(笑)

 

◆ユリのつぶやき

おばちゃんたち二人とも高齢だから私はただ笑って聞いていたけど、結局「娘がいい」っていうのは、娘は家事や介護の役に立つってこと?

今は男性の介護士さんや看護師さんもいるのに。

自分たちがやってきたことを娘世代にも期待したい、っていう親世代のホンネはわからないではないけれど、やっぱりなんだかモヤモヤするなぁ。

ミニ知識  

~親の介護はだれが担うもの?~

 

民法877条には、直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある、と規定されています。ここでいう扶養義務には、経済的支援だけでなく病気や障害などで人の手を借りないと生活できない時の介助も含まれています。

当然のことながら、男性・女性といった性別の規定はありません。

横からちょっと言わせて

弁護士で、不惑を越えてからの子育てに奮闘中の中村衣里さん

今回の「ハナシ」に「横からちょっと」一言・・何を書かせていただこうかと考えをめぐらしますと、読んでいただく皆様(たとえば女性の皆さんだけでも、母、妻、娘とそれぞれのお立場がありますし、さらには男性もいらっしゃいます)が、それぞれに価値観や考え方、これまでの生き方等、本当に多種多様でいらっしゃることが想像できるため、何と書いたら良いものだろうと思っては・・筆が止まるということの繰り返しでした(なお、以下のコメントは「ミニ知識」に記載の親子間の扶養義務を否定する趣旨ではありません。この点、先に一言、申し添えます・・)。

ただ勇気を振り絞って?この「言わせて」を始めるにあたり、まず言えるのは、確かにこの日本社会では(少なくとも私の周りや、私が家庭の問題でご相談を受ける中で知る限りでは)、今回の「おハナシ」のような、娘や息子への感じ方を持つ人は確かに多い、という事実です。

たとえば女の子と男の子を持つお母さんたちは、「女の子はなんだかしっかりしているけど、男の子はいつまでも子どもよね」「男の子はなんにも考えてないから・・でもそこが可愛いわ」等、のコメントがよく聞かれます。

私自身は息子しかいませんからもともと比べようもないのですが、女の子の中にも「たしかに同年齢の息子よりしっかりしているな」と思うお子さんもいらっしゃいます。

がその一方で、正直なところ、「女の子でも、男の子でも、しっかりしていたり、そうでなかったりは、いろいろんだろうな」とも感じているところです。

さらに誤解を恐れずに言えば、結局のところ、身近に男の子と女の子の両方がいても、それを男・女の性で比較してしまうのは、自分自身の思い込みや、もう少し言えば男の子がそのように(子どもらしく、親に面倒を見てもらえる、甘えても許してもらえるように)振舞うことを許してしまう環境を、社会や親自身が「男の子は家の中のことや他人の世話はしなくても大丈夫」という性に基づく役割分担意識に基づき、息子たちに行動規範として与えてしまっている事実を、知らず知らずのうちにその親自身が自己否定しないために言っているところがあるのかもしれません。

まさにジェンダー問題が見え隠れしているところに思われます。(さらに言えば、女性である母親は、異性である男の子に対し、殊更に世話を焼いてしまうジェンダーに基づく傾向も、この「男の子」は「いつまでも子どもっぽい」「そこが可愛いらしい」との感覚に結び付きやすいのかもしれません。)

そして、ジェンダー意識に基づき、親は娘たちに対して、世代交代とともに、(女性としての役割である)家事・介護の役割への期待を高めるため、彼女たちのモヤモヤが高まっていくことになります。

対して、いつまでも世話を焼きたい対象である息子たちが成長し大人になった後も、母親にとって、やはりこれもジェンダー意識に基づきますが、息子たちはいつまでも「お世話をする対象」であり、世代の交代とともにその立場が逆転する発想は持ちづらいのかもしれません(このあたりが、親の息子への世話が結婚後も続き過ぎると、次には、息子の妻たちのモヤモヤに火がつくという展開に至ります)。

この点、親(母親)たちが息子たちを幼い時から長い期間に渡り「お世話をする対象」に置くあまり、家事・雑事全般にわたって彼ら(息子たち)にそれらを学ばせるスキルや機会を奪ってきた事実も、その後、「息子たちには自分たちの世話は期待できない」という発想に行きついてしまうのかもしれません。

さてここからは、私自身が思う「子と親との素敵な関係」を築くための提案ですが、やはり、子どもが女の子であろうが、男の子であろうが、最終的には彼らも自分たちと同じ大人になっていくのですから、そのときに精神的にも「対等な」関係でいられることが理想です。

そのために、第一には、子どもへの過度、過剰な関わりはどこかの成長の段階で徐々に卒業し(これは私もまさに子育て中の身であり、いつも子どもが無事に過ごしているか、困っていないか心配で、周りから見れば過度に世話を焼いている可能性があります(苦笑)。

いつがその時期なのか模索中であり、何もエラそうに申し上げることはできません)、子ども自身が女の子でも、男の子でも一人で生きて行く術や機会を与えてあげることが大切なのだろうなと思います。

そしてこれとともに、親自身は、他者(それは子どもに対してだけでなく、配偶者、その他の人間関係に於いてもですが)に依存しない成熟さを持つことが必要なのではないかと思うのです。

そもそも、自分自身が成熟し、独りで立つことができていれば、「息子が役に立たない」「息子には頼めない」「息子が嫁にとられた」等と言って、自分がそのように育ててきてしまった息子を嘆くことも、「(年をとると)娘がいい」「(娘のほうが)一緒にご販を作ったり買い物に行けたりして楽しそう」等と架空の世界にいる(実際には存在しない)娘との関係を夢想する必要もなくなるのだと思うのです。

娘でも息子でも、友だちのように対等に付き合いができる人間関係、相性が合うのであれば、将来にわたってそのように過ごすことはもちろん素敵なことでしょう。

しかしながら、娘、息子だからといって無条件にそうした密な関係を求めたり、期待することも行き過ぎた考え方のように思います。

実際に子どもたち(その配偶者を含めて)がモヤモヤした感情を抱きながら、顔では笑いながら親世代に付き合ってもらっていても、どこかに遠慮や後ろ向きな感情が見え隠れして、双方ともに気分の良い関係とは言えない例も、家庭の問題を見ていくなかで見聞きするところです。

まだまだ社会の中や私たち一人ひとりの中にある、性別役割分担意識に基づいた、女の子(娘)への、若しくは男の子(息子)への「こうあるべき」との期待や希望が根強い現状が、子どもたち自身も、また親たち自身をも縛り付け、苦しめています。

こうしたジェンダー意識の払拭とともに、さらに私たち誰もが、自分自身で独り立ちすること、つまり、精神的(さらには経済的にも)な成熟が達成できていけば、誰かがどこか(の立場)で抱えてしまっている心のモヤモヤが晴れていくのではないでしょうか。


 

原稿担当 : NPO法人 あなたらしくをサポート(愛称:らしーく)
イラスト : 林やよい

 

※このイラストを利用されたい場合は「NPO法人あなたらしくをサポート」nporasiku@gmail.com までご連絡ください。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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